あの激動の春から半年!
トラカレというHippoの講座で作り手に手を挙げてから始まった「輪読」。
輪読、つまり、みんなでオンライン上で本を読んでいます。
私たちの講師は、中村先生だったので、先生の本を読んでいました。
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そして、トラカレが終わった今も 実は細々続けています。
本を読むだけでなく、
個々に感じたことを話し合ったりするので
私は地味にこの時間が好きです。
新たな視点、考え方をもらったりもするからです。
そこで、先日教えてもらった話に
「聞き手が主体」という話がありますのでシェアしたいと思います。
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『DNAの冒険』に書いてある話だそうです。
主体は「話し手じゃない」んだって。
「聞き手」こそが、主体!
へ~!って思ったけど、
かなり納得。
前々から思ってたんですが、
私が何かを話したときに、
いろんな人がコメントくれるんですが、
そのコメントを見ていると
みんながみんな話の違うところに心を留めてくれていて
バラバラの反応をしてくれているんです。
私にとって
話のつなぎでしかなかったような些細な出来事であっても
心留めてくれる人がいて。。。
「え?ここ?」
って思ったりすることもありますが、
今その人にとって、そのことばがとても印象に残ったことは確かで。。。
他にも、
同じことは私にもあって、
ある人の話をまた別の時に聞いたりするんですが、
全く同じで、次に何の話をするかも覚えてるくらいなのに、
その時の自分が前の自分とは違うから
心に引っかかる部分が違ってくるんです。
そっかー!これが「聞き手が主体」ということか!
と思った次第です。
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本を読んでてもそうです。
同じ内容の本だから言ってることは同じなのに、
やっぱり自分が変化してるし、
その時の自分の状況とかにかなり左右される聞き方をしてるなって思います。
こんな話書いてたっけ?
ってくらい記憶に残ってない部分が心に留まったりします。
そういう意味では
人間って、人間の脳って
本当に自分に都合の良いようにできてるなと思ったり!
( *´艸`)
***
そんなことを思ってた矢先、
週2~3で活動している「BebeメタTime」で
すごく嬉しい感想をもらいました。
『私、ずっと、是しぇんま(ゲームの一つ)って、そんなに多言語でもないし、なんのため~??ってうっすら思ってたんだけど、べべメタで頻繁にやるようになって、ついに今日、何かが見えた気がした!
いつもSとかHaruとかがすごく細かいところまで当てに行くのを見てて、すごいな~って思ってて、真似しようとするけど、なかなかできなくて。
今日、Rが「Nちゃんのお庭で育ったpumpkin」って言ってくれて、私のことわかってくれてる~ってうれしくって🎵
オンラインでも何度も顔合わせて、ここのおうちはこんな感じとか、どんな子がいるとか、この人はこういうことに興味があるとか、最近こんなことしてたんだよね~とか、理解が深まるにつれて、出てきたものが何か、より詳しく想像できて細かいところまで当てにいけるんだなあと感じました。
これって、ホームステイしてて、ファミリーと過ごす時間が長くなると、だんだん相手の行動とか言ってることに当たりがつけられるようになるのと同じだなあ、と。
是しぇんまで、いっぱい相手のこと想像して、ことばだけじゃないコミュニケーションしてるんやね。』
私、すごく共感したんです。
で、こんな返事を書きました。
『うれしぃ!!!同じこと思ってくれてる!うちもはじめ、こればっかりもな~って思ってた時期あった!!!でもね、言い方もほめ方も色々言語あるし、細部にわたって言うには心の近さも必要で!!!だからこそ見えるものもあるよなーって、思ってる!同じだね!』
これって、結局は「聞き手が主体」という話につながるなと思いました。
話し手が主体と思っているうちは、
ゲームで問題出す時だけがゲームに参加してる感じになるだろうなって。
多分、問題を出されてる時に
その人に寄り添って聞くことで
どんどんその人のことが分かっていく。
見えていく。
だから、応えられるんだろうなって思います。
ただの回答ではなくて。
だから、相手がちびっ子でもできるんだと思うんです。
どういうことかというと、
是シェンマ ゲームでは
一瞬画面に物を見せて
それを当ててもらうだけなんですが、
子どもが問題を出すと
大抵予想外のことばが回答として出てくるんです。
その物の名詞を答えてもらいたいのではないのです🤣
その子が答えてほしい 単語があるんです。
そんなのはじめのうちは分かるわけないわー!って単語なんですが、
次第にわかってくるんです。
例えば
先日 我が家の小1三男が
自分で作ったレゴの車を問題に出しました。
誰かが
「Rがレゴでつくった車!」
って言うんだけど、
「くるまちゃうんよね~」
って言うんです。
横で見てて、
いや、それは車でしょ!
って思うんですが、
三男にとっては車じゃないんです。
答えは「モンスターカー」でした。
どうやら、
三男にとっての「車」は「乗用車」で、
広義の意味の「車」というものは、まだ知らないようでした。
そんな子どもたちが相手だから、
こっちの常識は通用しません。
この 相手を知っていこうとする過程が
わたしには「聞き手が主体」という話に通じるなぁと思いました。
つまり、
「受け手」が「主体」ってことにもなるなと。
***
赤ちゃんに話をもっていくとすれば
最初の「あー!」です。
それに全てあるなと思うのです。
赤ちゃんが「あ~」とか「あっ」とか
口をもごもごさせながら何か話してくれているのに対して
真顔で見つめられる人は なかなかいないかなと思います。
そう。
あの発語に対し
「そ~なの~うん。うん。そっか~」
とか言いながらアフレコで勝手にストーリー付けていきませんか?
それも聞き手だなって。
主体が聞き手にあってこそ
成立する会話だなと思ったのでした。
だから、何?と言われれば
なんてことはないのですが、
だから、
やっぱり何事も自分ごとで取り組むと見えるものも
ぐっと違ってくるなと思いました。