リアル準備会:命をいただく(トラカレ準備⑫)

輪読・講座

「いのち」について

かつて ここまで考えたことはなかったなぁと思います。

一人で考えても

こんなに深まることはないです。

みんなでするから

本当に深まっていくんだなぁと 

ものすごく実感した一日になりました。

*****

詳細は省きますが、

みんなで鶏さんの命をいただきました。

交代で 鶏さんを抱っこしあっている 子どもたちを見て、

この子たちは 

これからこの鶏さんを食べるって分かってんのかな?

って思うくらいには、

みんな 鶏さんと 戯れていて。。。

でも、「食べる」「いのちをいただく」と決めているから、

いざ その時になって うろたえる子は一人もおらず。

文字通り みんなで協力して

みんなで いただきました。

***

参加した子どもたちや 親から出た感想/シェアは 

本当に色々でした。

一部しか紹介できないのが残念ですが、少し紹介すると、

【中一女子】
『魚はさばいたことあるけど、今回はちょっと違うと思った。』

というので、

私を含め数人が「そうなのよ!何が違うんだと思う?」

って思わず突っ込みを入れていました。

そしたら、一言

『温かいからでしょ』

即答でした。

当たり前じゃん。何言ってんの?大人たち。

的な表情に見えました。

悪い意味でなく!

そして、

『魚は冷たい。釣り上げた時点で死んでいく。だから、捌くとき冷たい。
でも、鶏さんは温かかった。』

と続けてくれました。

がつん!と殴られた気分でした。

魚は冷たい。今まで生きてた鶏さんは温かい。

当たり前。

でも、その当たり前を ことばにしたときに

初めて真に理解するんです。

これだから こどもはすごいです。

本当に大切なことを しっかり汲み取ってる。

当たり前すぎて 気づいてない その事実に打ちのめされました。

多分、これを読んでくれてる人も そう思うのではないでしょうか。

そりゃそうやろ。 温かさ違う。 当たり前やん。

でも、言われたから そう思うんです。

実際、自分から気づいてことばにするって 本当に難しい。

【小6 長男】
『お母さんが出産するときの血はしんどくなかったけど、
今日は しんどかったから ちょっと離れた。
なんでかなって自分で考えたんだけど、やっぱり
生まれるときの「血」と、死んでいく「血」の違いだと思う。』

その後彼は続けました。

『でも、食べたらおいしかった。
お店で売っているお肉は この工程があり、それを今日見れたんだと思ったら、
ちょっと考えさせられた。』

と続けました。

長男は 元々血はダメなタイプなので、

自衛行動として、一旦現場をはなれたんだなぁというのは

分かっていました。

勿論強制する気はなかったので、

みんな自由に行動していました。

現場から少し離れる子、

いただきますへ向けて 積極的に関わる子。

それぞれが 自分に 今できる行動をとっていました。

【小3 二男】
『最初は楽しいと思ってたけど、気絶させてからのことは 嫌な感じがした。
血が出たのが かわいそうな気がした。でも、食べたら美味しかった。』

二男が気絶させてくれたんですが、

一見、「食べる」に向けてとても積極的で

この子はどこででも生きていけると改めて実感していましたが

やはり 感想で出た 「嫌な感じ」というのが 彼の心の本当の部分なんだと思います。

そこを経て 食卓に 大好きなチキンが並ぶんだということを改めて実感したんだと思います。

元々綺麗に食べる子ですが、

今後、「いただきます」に深みが出るんだと見ていて思いました。

【小3女子】
『最初抱っこするのは怖かったけど、一回抱っこしたらすぐ慣れて可愛いなって思った。
パパと話してたんだけど、スーパーに並んでるお肉は安いと思う。
命いただいてるだけでなくて、お肉になるまでの工程がすごく色々大変だし、怖いこともあるし。』

本当にそう思います。

日常に追われながら生活をしていると 

どうしても安さをみてしまうのですが、

やっぱり、その背後にあるものを考慮した対価が必要だと改めて思いました。

その後 この子が ふわふわの羽をもって帰ったということが判明。

ちゃんと理由がありました。

『いつでも、そのことを思い出して・・・鶏肉だけじゃないけど、
そのことを思い出して普段の食事とか感謝することがいつもより深くなったなと感じたから。』

もうこのシェアを聞いたら、何も言えないです。

すごすぎる。

そんなこと、小3で感じてそれを ことばにできるなんて!

何度も言いますが、 子どもは本当に 大事なことをしっかりとおさえてくれます。

本当に すばらしい!

ちなみに、

彼女のママさんは 今日ここへ向かって来るまでに

車の中でも色々話したらしいんですが、

道中 子ども達は 歌を歌ったりで 

全くその気になってる感じがなかったから

この子たち大丈夫か?って思ってたそうなんです。

でも、最後の感想を聞いて、

『やっぱり子どもはすごい。
この子たちはこの子たちなりに 色々感じて気づいて
子どもってちゃんとみてるんだなって思った。

親が勝手に「うちの子ダメだ」って思ったらだめだなって改めて思った。
小さくても 子どもたちはちゃんと自分たちの中で学んでる。

今回のことだけじゃないけど、いろんな中で子どもは気づいて学んでる。
そういうことに気付ける親になりたい。
そして、親が気づけない時でも 
周りの人が我が子のこと(行動や変化)に気付いてくれてる。。。
これって本当にすごいことだと思う。』

と話してくれました。

本当に それに関しては 共感しかなかったです。

因みに、そのことについてはなんとなく気づいていて 

思わず写真に収めていたんです。

とっても とっても 大切そうに羽を持っていたんです。

まるで包むように優しく。

すごく印象的でした。

【小1女子】
『気絶させるの怖いと思ったけど、二男君すごいと思った。
心臓がこんなに小さかった!形は、丸でもハートでもなかった。
抱っこした時 ふわふわで温かかった。
とさかが 赤かったのが 白くなっていった。
こけこっこって最期になかなかった』

私もびっくりしました。

とさかは、血管が流れていて赤く見えてるんだと 初めて知りました。

【小1男子】
『あんなに血が出ると思ってなかった。』

『中身(内臓)がなんか面白かった。思ったより色々あった。』

研究者肌な視点を持つ子なんだなと、改めて思いました。

【前回すごくすごく命に向き合った小1男子】

『1回目より沢山血が出たからビックリした。』

この子のことですが、

一度目にすごく命と向き合いました。

このブログを書いたあと

山の子塾という子ども主体で自然体験をする活動の一環で 

一度命をいただきました。

ですが、

我が家どうしても都合が合わず参加できなかったということと、

このトラカレ講座として重ねて考えたくて、

この子にとっては2度目になるけれど

あえて企画しました。

一度目は

冷たい雨の中、暗い川岸ですることになりました。

血を抜く工程で棒を支える役を 覚悟を持ってかって出たそうなんですが

このときのことを彼は 日記に

『しんどうをかんじました』

と、表しました。

彼の母がそのことを伝えてくれたときに

これは明らかに、いのちを感じてのことばだったんだと補って話してくれていました。

ただの揺れではないのです。

実際 

写真で見た 彼の神妙な顔は 

彼の複雑な心境の上での覚悟を物語っていました。

。。。間違いないと思います。

このあと、

連日連夜トラカレの本を読む時間以外にもシェアタイムを設けて

時間の許す限りみんなでことばを重ねました。

話すことで みんなのこころの重みも昇華されていくのがわかりました。

追記:

この子に 二度目を課すのは 正直どうなのかと思っていました。

既にしなくてもいい、買えば済む世の中で

日々に飢えているわけでもない時に、

あえて「いただく いのち」。

トラウマにならないと断言できない行為。

彼は 植物が切られることに対しても 心から いのちを感じる優しい子。

それをわざわざ二度目なわけです。

無論強制はなしです。

でも、彼は前回のことを踏まえ、責任をもって今回に挑んでくれていました。

母のことばと一緒に 後述しています。

【大人】
・「いただきます」は、作ってくれている人に「ありがとう」って思ってたなぁって。
でも、いただいてるのは「いのち」なんだと実感した。

・鳥からお肉になると、「鳥」と合致しなくなった自分が怖かった。
みんなでいい雰囲気で 命をいただいて食べて 本当に「循環」してるのを感じました。

・一回目があったから、今日スムーズにいったかなと。
命をいただくには 正しい知識と技術がいることを実感した。
それと共に、きれいにさばいてくれて有難いなぁと思った。

・一回目はすごい衝撃だったけど、
今日は雰囲気もあるのかもだけど鶏さんがちゃんと成仏したと思った。
前回の鳥さんは私引き留めてしまった感じがする。

・みんなで大勢でするってすごい。感謝祭みたい。

・長男小1の様子が前回と全然違う。
人生経験だなって本当に思った。
前の積極性とはまた違う積極性があった。
来る前は、責任感的なのもあって、僕が気絶させると覚悟してた。

*実際は力の強い我が家の小3二男の方が先陣を切る方が鶏さんにもいいという判断になりました。

・今回すごく大切なことをしてると思ったので、遠くから当日参加するに当たり
夜の本読みの時間はなるべく顔をだしたり本を読んだり可能な限り積極的に参加した。
→この真摯な姿は私にはしっかり伝わっていました。かなり嬉しかった。

・以前これに似たいのちの授業の感想で、
3連休ずっと家族で話し合った結果、小1の息子が「しかたない」という感想を書いた。
それをどうとらえたらいいのか。。。と・・・
中村先生は、本の中で
「私たち生きものは 他の生きているものをとりこんで生きている。
それが生きものですから。だから、生きものに感謝しなければ」っていうような書き方だったの。
人が生きていくのに 生きものを殺すのは仕方ないで終わると、
例えば、考えすぎかもだけど
これがあるから自分がよく生きられないんだって思ったときに
これを自分の世界からなくさないといけない!と捉えないかなと。。。
仕方がないから殺しますって、違うやろって思う。
そこに感謝がないと。

*****

書き残してることは多々あると思いますが、

とりあえず、いくつかざっくりひらった分です。

すごく深い深いシェアになって、

みんなの思いがものすごく分かります。

今回 改めて思ったのは

やはり大勢の中で「多」の中で生きるのは とてもいいということ。

今回が2度目だった人たちは

みんなその時すごく真面目に命に向き合い

寒い中体を震わせながらだったみたいです。

でも、今日はとても天候に恵まれ、暑いくらいの中、大勢でいろんな考え色んな思いが交錯しながら行われました。

前もってさばき方をしっかり把握してきた方もおられたし、

子どもに心からことばを尽くして来てくれた方々。

みんな各々に信じるものを持ち寄っていた

そんな感じでした。

このあと、結果的に

ビーガンになると決めても

ベジタリアンになると決めても

こころからのいただきますを言える人になっても

それは個人の道ですので

そこにどうこう関与するつもりはありません。

ただ、みんなで考えて

いろんな人の意見をそれぞれが自分の中に取り込んでいく姿が

とても とてもいいなぁと思いました。

これが「多様性」の一つだと思いました。

同じような考えの少数の人だけが集まって何かをした場合

結果は見えてます。

すごく偏る。

それが合ってるとか間違ってるとかの話ではないです。

他の世界や考えが見えなくなるんです。

だけど、

いろんな人が いろんな考えや いろんな経験をもって集まって動いたとき

本当に素晴らしい空間になります。

いろんな人のいろんなことばを聞くことで

世界がぐんと広がります。

今回みたいに 

行動だけ文字にして書くと、決して素敵には思えないいのちを絶つという行動が、

とても素晴らしい経験になったんです。

いのちについて

みんなで 共に とても深く考え

一人一人 いろんな思いを抱えながらも 各々が各々で見つけるんです。

本当に ここまで 深まるとは思ってもみなかったけれど、

とてもとても大事な時間になりました。

生き方が ぐっと変わったと思います。

こんな時代に こんなこと わざわざして。。。

と思われた方も多いと思いますが

決して 考えなしでしたわけではないのです。

「いただきます」に祈りが入り、

その背後にあるものに思いを馳せられるようになりました。

循環しているんだということは

今までも感じてはいたけれど、

そこには、38億年のいのちのつながりがある。

そのことにも しっかりと気付かされました。

生きものの中で 生かされている 私たちが

決して忘れてはいけないことを 今回改めて感じさせてもらえました。

追記

①工程に関して

色々事前に考えはしておきましたが、

子どもと話し合ってから決定しようということは決めていました。

だから、プロのようにはできない分、みんなで必死に色々考え、アイデアを出し行動しました。

三人寄ったら文殊の知恵というのはまさにこのことで、1度目の経験があったのはもちろんのことですが、アイデアの出し合いもとても良かったので、気絶からいのちをいただくところまでかなりスムーズに運びました。

②今回が2度目の件に関して

実は 仲間が一度実践し、

それをたくさんみんなで話し合いことばを重ねていったことを 何度か書こうとしました。

でも、ことばだけが

行為の上っ面だけが独り歩きしそうでかけなかったんです。

今でも同じ思いはあります。

正直変にとられると 心から嫌だし 怖いです。

故に工程は あまり書いてませんし

前回のこともそこまで詳細は書いていません。

ただ、前回のすごく重たいいのちと向き合う時間があったから

今回の感謝祭のような感じになったにも関わらず、

すごく深いところまで

考えや想像が及んだんだと思います。

それは間違いないです。

本当に、生きることに無駄なことなんてのは1つもないです。

全部つながってる。

日常の些細なこと 一つ一つに

もっと目を向けて 考えて 生きていこうと思いました。

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