講演会のラスト、
質疑応答の一部分をシェアしたいと思います。
Q:先生にとっての「ひらかれたこころ」とは?
例えば
日本人が「英語」「英語」ってよく言ってますが、
英語が話せるからと言って、
それは国際人であるということではない
というような話をしてくださいました。
私も常々それは思っていましたが、
先生のことばの中で一番響いたのは、こちら!
↓↓↓
『英語という巨大な言語の中に自閉する可能性がある』
おもしろい言い方だと思いました。
こころが開かれているという基本は、
『多言語が話されているということを認めること』
➡いろんな人が 各々話しやすいことばが違うんだということを理解すること。
そして、
多言語社会では
分からないこと知らないことがあることが 基本だから
分からない言葉に接していても 文句はでない。
逆に
単一言語社会ほど、疑心暗鬼な気持ちも増える。
という話もあって、
みんながみんなそう当てはまるわけではないでしょうが、
確かにそういう部分はあるかもと思いました。
多言語社会の人の方が
大概ゆったりしてるし、
何でもOKOK!みたいなところがあります。
逆に、
単一言語の社会の人は
ギスギスしやすいような。。。と思ったり。
そう思ってみると、
やっぱり「多」の中で生きるって本当にいいなぁと思いました。
***
Q:言語社会学としての今後の話 では、
多言語を話せるなら、考え方の切り分けができるという話がありました。
最近の研究では
自分にとっての関係性によって考え方が違う。。。
つまり、
母語の方が感情的なつながりができる。
外国語の方が客観的にみれるので、難しい判断を迫られたときは母語でない方で考える方がいい。
ということだそうです。
それも、すごくわかります。
イラついてる時ほど、
あえて別の言語で話すと、冷静になります。
考えないと ことばにならないから。
日本語だと マグマがあふれ出すかの如くにイラつきがUPします!
( *´艸`)
***
最後に、
人間はことばで環境をつくっているという話があり、
『Hippoは「自然な」言語環境を作っている団体なので、とても面白い!
単一言語化が究極まで進んでいる日本で
真逆の究極の多言語活動が行われている。。。
このギャップが大きく面白いし、
だからこそ ここまでのことができてるのかもしれない。
世界で他に例を見ないんじゃないでしょうか。』
だそうです!
世界で唯一じゃないかと聞いて思い出すのは
やはりスザンヌ先生!
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