『多言語のすすめ』上智大学 木村護郎クリストフ教授の講演を聞いて④~質疑応答のシェア

輪読・講座

講演会のラスト、

質疑応答の一部分をシェアしたいと思います。

Q:先生にとっての「ひらかれたこころ」とは?

例えば 

日本人が「英語」「英語」ってよく言ってますが、

英語が話せるからと言って、

それは国際人であるということではない

というような話をしてくださいました。

私も常々それは思っていましたが、

先生のことばの中で一番響いたのは、こちら!
↓↓↓

『英語という巨大な言語の中に自閉する可能性がある』

おもしろい言い方だと思いました。

こころが開かれているという基本は、

『多言語が話されているということを認めること』

➡いろんな人が 各々話しやすいことばが違うんだということを理解すること。

そして、

多言語社会では

分からないこと知らないことがあることが 基本だから

分からない言葉に接していても 文句はでない。

逆に

単一言語社会ほど、疑心暗鬼な気持ちも増える。

という話もあって、

みんながみんなそう当てはまるわけではないでしょうが、

確かにそういう部分はあるかもと思いました。

多言語社会の人の方が

大概ゆったりしてるし、

何でもOKOK!みたいなところがあります。

逆に、

単一言語の社会の人は

ギスギスしやすいような。。。と思ったり。

そう思ってみると、

やっぱり「多」の中で生きるって本当にいいなぁと思いました。

***

Q:言語社会学としての今後の話 では、

多言語を話せるなら、考え方の切り分けができるという話がありました。

最近の研究では 

自分にとっての関係性によって考え方が違う。。。

つまり、

母語の方が感情的なつながりができる。

外国語の方が客観的にみれるので、難しい判断を迫られたときは母語でない方で考える方がいい。

ということだそうです。

それも、すごくわかります。

イラついてる時ほど、

あえて別の言語で話すと、冷静になります。

考えないと ことばにならないから。

日本語だと マグマがあふれ出すかの如くにイラつきがUPします!

( *´艸`)

***

最後に、

人間はことばで環境をつくっているという話があり、

『Hippoは「自然な」言語環境を作っている団体なので、とても面白い!

単一言語化が究極まで進んでいる日本で

真逆の究極の多言語活動が行われている。。。

このギャップが大きく面白いし、

だからこそ ここまでのことができてるのかもしれない。

世界で他に例を見ないんじゃないでしょうか。』

だそうです!

世界で唯一じゃないかと聞いて思い出すのは

やはりスザンヌ先生!

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