続きです!
本題に入りまして、
先生曰く、政策が変化していっており
『昔=同化
今=異化』
ということです。
確かに、
昔は、足並みそろえようだったのが
最近は、多様性の社会へと言われています。
そして、実際 目を向ければ
『「世界は多言語」
日本も世界の一部なので
日本だけ別なわけではないのです!
=日本自体も多言語になっている!
多様化する世界と日本の現実に適応するためには
「多言語に対して開かれた心」が必要になってくる。
「多言語を話す」
=「違う発想がくる&社会が豊かになる」という考え方になってきている。』
とのことです!
とってもうれしいです!
なかなか浸透しない考え方なので…
その後、
例の最初の問いに戻りました。
先生の話を簡単にまとめたので、
まずは そのまま紹介します。
以下、先生のお話の要点をまとめたものです。
*******
★英語があれば他の言語が必要ないのか
★機械翻訳があれば他の言語はいらないのか
↓
異言語間コミュニケーション論
:異なる言語を使う人の間を言語的に媒介する方策への注目
↓
結論
:どの手段にも異なる特徴があり、長所と短所がある。
➡言語を混ぜて使う可能性もある。
=この方法が最高というものはない。
➡より多くの手段を使う方が豊かになる!
=お互いに補いあって、様々な話し方をした方が、
色んなコミュニケーションチャンネルを使った方が、
➡お互いの関係は深まったり違う側面が見えたりする!
★今「ことばの多様性」=「言語を守ろう!」という動きはあるが、
「手段」の多様性にも目を向けてほしい!
↓
「英語」と「機械翻訳」だけに頼った場合を考えて今回考えていきます。
↓ *使うなとは言ってません。
あえて、
夢想社会を想定して、その先を考えてみよう!
・全国民英語ペラペラになった!
・機械翻訳完璧の社会になった!
↓
それを「ソルブ語」で考えてみよう。
↓
【何故ソルブ語か??の理由】
*ソルブ語とは、
ドイツのベルリンの南東部で使われている。
言語形態は、スラブ系言語(ロシア語・ウクライナ語・ポーランド語)。
ちなみに、ドイツ語はゲルマン系言語(英語など)。
⇒ドイツにあって、ドイツ語と全く違う言語を使う地域があるということ。
↓
この地域の人は、
みんな完璧にドイツ語を話せる。
かつ、地域が同じ。
地域的社会的に昔から「違和感のない」「精度の高い」機械翻訳が可能。
↓
ただし、視点がちがう。
例えば書いてあるパンフレットの内容が違う。
ソルブ語:内側からの視点
ex.精神的な部分、より詳しい歴史が書かれていたりする
ドイツ語:外側からの視点/外向けの視点
ex.あくまでも意思疎通、情報収集のため
↓
ことばが通じるから「わかった」と思っている。
➡危険!
ことばが通じる≠相互理解
↓
実は、ソルブの人たちの考え方を
基本的にドイツの人は全く分かっていない。
=現地語を知って初めて中(内実)が見える。
*翻訳の限界*
例≫さようなら
◎ドイツ語
Auf Wiedersehen.
Auf(まで) Wieder(また)sehen(会う)
また お会いしましょう。
=再見 系
◎ソルブ語
Božemje:神と共に
(ソルブの世界はキリスト教が重要な役割を果たしている世界)
zbožo(幸福)
→Good-bye<Godbwye, adieu(adios)<a+dieu(神に[委ねます])
しかも現在も意味を保ってる
=アディオス 系
➡素材が違う
組み立ても違う
そんなもので、同じことを言おうとしても不可能。
→翻訳すると言語の固有性による意味や視点は失われる。
そのまま再現することはできない。
絶対的な「=」はない。
同じものだからと言って、同じ意味を持つことはあり得ない。
「I」と「私」は完全には 一致はしない。
↓
例≫
木造家屋と同じ家を煉瓦でつくるようなもの。
=(-)見かけ同じだから、分かった気になる。
=(+)でも、面白いものができるかも!=創造性
↓
多言語ができることは、創造的思考につながる!
言語そのものが創造的。
ことばの数は有限だか、
その組み合わせは指数関数的に増加、無限の思考。
複合的思考につながる!
=違う素材→違う連想→違う発想!
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今回、私が面白いと感じた点は、
あえて、夢想社会を想定したうえで
次の考えを示してくれたことにあります。
確かに
究極な世界が実現したとしても、
やはり「多言語の必要性」は はっきりしているのです。
もちろん 生きていく上で なくても死にはしません。
でも、一度きりの人生、
広く色々なもの・人に出逢いながら
豊かに生きることで
ぐっと変わっていくと思います。
これは、いくら言葉で言っても
自分で体感しないと通じません。
新しくこの世界に飛び込んでくれた人たちが
こぞって「人生かわった。。。」って
自分や家族の変化に驚き喜んでいる姿が
それを物語ってるなぁって いつも思います。
みんな最初は疑心暗鬼!
そこからの変化がいつも面白いです。
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いつも いいますが、
私は 多言語の習い事をしているわけではなくて、
ただただ「環境」を作っています。
習い事なら、いつか終わりが来る。
「環境」に
「日常」に
終わりはないのです。
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