英語と機械翻訳で「ことばの壁」はなくなるか?
~今、多言語と向き合う意味~
講師: 木村護郎クリストフ教授 (上智大学 言語社会学)
先日の講演会は有難いことに オンラインでもつないでいただけまして、
家に居ながらにして、
講演会場の様子がばっちりわかる講演会に参加できました。
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まず、先生の最初の問い!
①日本は日本語で大丈夫だから、他の言語に関心をもつ必要性はない?
②(国際)共通語が通じる場合に、あえて現地語を学ぶ意味とは?
③機械翻訳の精度があがれば、異言語(外国語)学習は必要なくなる?
というものでした。
この時点で、
3つとも、自分の回答がふっと浮かぶ人 いると思います。
あえて、今は 何も言いませんが、ちょっと考えてみてください。
その後、言語はどこにあるのか、という話になって、
・脳・こころ・社会(空間)…
そもそも、
「言語」は「コミュニケーションの道具」ではない!
↑先生はこれに対して、「二重の意味で気に入らない」とおっしゃられました。
一つ目
●コミュニケーションだけではない
→言語の主要な3つの機能
①思考:ことばを通して考えている
②集団形成:場を共有する空間を作っている
③コミュニケーション(①・②があるうえで③がある!)
→3つの機能は全て個人の中で完結するものではない。
という話がありました。
まさに!
ことばって「コミュニケーション」にフォーカスされがちですが、
まずもって①「考える」ことがあります。
このブログを書き始めて、しみじみ思ってることの一つです。
「ことば」って、すごく「思考」につながっていて、
話しながら形にしていったり
書きながら形にしていったりするなぁと思います。
文字に落とすのは また一層難しいですが、
どちらにせよ、すごく大切。
考えて、つたえることで、
人と人につながりが生じるなぁと思います。
②の場を作るも
確かに、言われないと気づけないですが、
黙ってたら、
ただ「人」がいるだけ。。。
つながりも何も生まれない。。。
せっかく 出逢って
きっとお互いの人生に影響を与えるだろうって・・・
そんな希望も
「ことば」がその空間に生じて
初めて 生まれることなんだなぁと思いました。
そして、
その上での
③コミュニケーション!
すごく腑に落ちました。
当たり前すぎて、
ことばにされないと気付きにくいことの一つだなぁと思いました。
二つ目
●道具ではない
→使うことで存在する
言語≒空気
当たり前すぎて、どこにあるか分からないもの。
道具というよりは環境:空気
という話がありました。
これも 納得しかなかったです。
使うことで存在する。
↑これは衝撃の事実でした。
道具は はじめから存在はしていますから、
そういう意味では、「ことば」は道具ではない・・・
(; ・`д・´)これまた 当たり前すぎて、衝撃!
ちなみに、
この件について
長男に「ことば=道具って言われたらどう思う?」と聞きますと、
「人によると思う」といわれました。
どういうことかと言いますと、
人によって「道具」の考え方、定義が違うと思うと言われました。
「道具」を
モノって言う概念、固形の物体と考える人もいるし
人間にとって便利なものって考える人もいるから
この「道具」の考え方次第で違うと思う。
と言われました。
面白いなぁと思います。
そんな冷静にそう返されるとは思わなかったので。
多様に育ってるわ~って改めて思いました。
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クリストフ先生の話は
まだまだ続いたのですが、
今日はこのへんで!
続きは、また今度ー!
コメント
→言語の主要な3つの機能
①思考:ことばを通して考えている
②集団形成:場を共有する空間を作っている
③コミュニケーション(①・②があるうえで③がある!)
同感です!