小4~小5にかけての頃って
ちょっと哲学的な思考が付く気がしています。
私の周りにいる子たち オンライン含め、
なんだかみんな そんな傾向が見えます。
思春期に入るころに
そういう思考が始まるのかな?
そして、
先日また同じような感じを受けました。
今回は 哲学ってわけではないんだろうけれど、
思考が一段階深まる時期という意味では
当たりな気がします。
にしても、
なんだろう。。。
本当に不思議です。
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今春から小5になった男の子の去年度ラストの作文から
そう思いました。
まずは、紹介しますね。
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国語はなぜあるのか
ぼくは、国語の授業が好きではない。
なぜなら、日本の国語は日本語であるので、全員母国語はしゅうとくしていると思うからだ。
自分の国の言語は、国語の授業がなくてもしゅうとくできる、ということがある多言語交流プロセスの実験で証明されている。この多言語交流プロセスとは、生まれたばかりの赤ちゃんがどういうかんきょうで言語を学ぶか、という実験である。もちろんぼくたちは日本語を話している。
結果、日本語が飛びかう日本というかんきようでは、やはり日本語をしゅうとくできているように感じる。
フランス語が飛びかうかんきょうではフランス語、ドイツ語ならドイツ語・・・・・ということである。つまり、言語が自然に飛びかうかんきょうをつくれば、国語の授業は必要ないということだ。
では作文、漢字はどうだろう。
たしかに、この単げんは国語の授業がないといけないかもしれない。しかし、それが国語という科目である理由はないと思っている。
作文は作文、漢字は漢字、という科目を月に三度ほどつくってみたらどうかとぼくは思う。
これだけの文章を書かなくてもおわかりいただけると思うが、国語はいらないとぼくは思っている。
しかし、この国に国語という教科があるのは、事実だ。
どうせ受けるなら、自分のために大事に受けたほうがいいかもしれない。もしかするとぼくの知らない「国語の授業がある理由」があるかもしれない。そのことを考えながら授業を受けていこうと思う。
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彼の書く、
ある多言語交流プロセスの実験をしている団体とは
まさしくHippoです。
言語交流研究所
ヒッポファミリークラブです。
そして、
文章の一節が、
Hippoの人なら明らかに聞き覚えがある文章になっているのは、
さすがネイティブHippoと言ったところです。
音源でよく聞く一説が
彼の頭にしっかり入り込んでることが分かります。
おもしろいですね。
突っ込みどころは色々ありますが、
10才の考えることの面白さ!
そこに惹かれました。
そして、
何が一番すごいって、
自分の想いに囚われてないところです!
『自分はこうおもう!
だけど、こうかもしれない!
だから、それを念頭に置いて授業を受けようと思う。』
この流れがすごいです。
10才の頃って、まだまだ自分出すのに精一杯!
ギャングエイジなのに、
そんな風に周りのこともしっかりつかみ始めるんだぁと。
それをことばにできるのがすごいです。
感覚的に感じていたり 思ってても
ことばにできるのとは わけが違います。
自分の想いを 自覚して 受け止め、
それを出し、
さらに、いろいろなことを加味したうえで
あの考えに行きつき、
ことばにできた。
その一連の流れが、
ラストたったの3行ですが、
如実に表れていて感激しました!
すごい成長を感じました!