人の声だから入る!なら、母がうたうわ!って思ったんだった!:当たり前のことが本質

我が家の多言語環境
初講師の時のパワポのラスト(まとめ)

来月8-9日は、講師に呼ばれていまして、

その方の日常の活動「ファミリー」の時間に

Zoomで入らせてもらいました。

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そこで言われた一言。

「Haruのところ、こどもたちよくうたうけど
それ、Haruがうたうからだよね?」

だったかな??

それに対して私がその場で返事したこと、

それって前々から感じていたけど、

きっちり改めて文字にしたことなかったような。。。

と思ったので、

改めてことばにしておきます。

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そもそも「うたう」って、モヤ₍ハングル₎??

意味はいろいろだと思いますが、

今回の場合は多言語の音源の真似をして、
それをうたうように口にすること。

それに関して

我が家の子たち よくうたうよねって
それって Haruがうたうからだよね~

って言われたという話です。

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結論から言うと、

そうだと思います。

私がうたうから、こどもたちもうたう。

ただ、ここに至るまでに

気づいたことがいくつかあるんです。

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そもそも、私は 

多言語の音源の真似をするのが苦手でした。

それが、

大きく変わった事件が起こりました。

「人の声」で聞こえ出して以降

とてもよく聞こえるようになったんです。

特に、イタリア語が↑このお兄ちゃんの声に聞こえるようになってからの変化が大きかったです。

詳細は省きますが、

この「人の声」で聞こえ出してから

自分がどんどんうたえる感覚がつきました。

その時に気付いたのが

私自身のリクエストより

子どもたちのリクエストの方が 先に口から出るようになったんです。

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どういうことかと言いますと、、、

当時、自分が何をうたっていたか忘れましたが
多分マレーシア語かアラビア語をうたっていたと思うのです。

でも、その自分で選んでうたっていた場面より先に

長男のロシア語や
二男のイタリア語、
三男のフランス語や英語が

先に自分の口からでるようになってしまったんです。

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これは自分にはかなり衝撃でした。

自分がうたいたくて 毎日リクエストしてうたっているものより

子どもたちが毎日うたっているもののほうが

先に口から出ていくんです。。。

***

そうかぁ~やっぱり人の声

特に、自分に近い人の声のものって

どんどんしみこむんだなって思ったんです。

ということは、

子どもたちに うたってもらいたいなら

私が がんがん うたえば

子どもたちに絶対影響するじゃん!

って思ったんです。

***

それから、

子どもたちがぜんぜんうたわなくても

子どもたちの横で 私が全力でうたうことにしたのでした。

何だか すっかり忘れていましたが

これ、すごく大事なことだと思っています。

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で、

その音源の真似をしてうたうこと メタカツが、

↑「話す」に直結していることを実感して以降

より音源をうたうことの大切さを感じながらうたうようになりました。

まさに「環境」を作るために

必死の日々が始まったのでした。

日々のちょっとしたことの積み重ね

日常こそがとても重要だと思って生きるようになったんです。

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で、その「うたう」が「話す」に直結していて

それで自然に話せるようになることが

まさに「母語」が増えていってるってことだなぁって

思うのです。

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そこで過去に自分が話していたことを振り返ってみました。。。

↑この一枚のパワポのページは

初めて講演をしたときの 最後のまとめのページなんですが、

今まさに言いたいことと何ら変わらないんです。

初めて講演した時と

言いたいことが変わらないって

ある意味すごいなって思います🤣

でも、やはり伝えたいのはここなんだなって改めて思いました。

***

今は、「14」年目を迎える今 に変わるだけの変化。

母語を増やしていますし、

実際子どもたちの母語は「日本語」だけでないことを実感しています。

感情が高ぶる喧嘩のとき
無意識の境地の寝言で

日本語以外が出るのが証拠です。

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そして、

私たちがしていることは

人間って何だろうって

ことばに真摯に向き合いながら

日々「当たり前」に注目して生きることだなって思うのです。

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そんなことを思っていたとき、

当たり前こそが本質なんだろうねぇ」っておっしゃられた方がいまして、

まさに そうだなと思いました。

そこにこそ「本質」があって、

そこを無視して

当たり前の部分「核」の部分を無視して

何かをしたとしても

それは表面的で

上っ面部分ばっかりなんだろうなって。。。

内側を、本質の部分を、

常に問いながら生きることに価値があると思いました。

**

そして、そんなあーだこーだ

一見 生きるのに何の意味もなさそうなことを言ってますが、

そこから見えるものって本当に人生を大きく変えるんです。

そんな「環境」って本当に一朝一夕にはできなくて・・・

改めて

「環境」はあるモノじゃないなぁって思うのです。

自分自身でつくるしかなくて

それも みんなで「多」の中で作るから意味があって、

一人でやっていても意味がなくて。。。

**

そこで見える世界の なんと広く深いこと。。。って感じの日々です。

そう、、、

だから、私

子どもたちが うたってなくても

遊びに夢中でも

子どもたちと一緒の空間で

毎日みんなと一緒にうたってたんだ。。。

って改めて思ったのでした。

母の声よ、しみこめー!

ってまるで呪いか🤣

。。。とは言え

↓こういう時期もある🤣

コメント

  1. あやや より:

    分かる、分かるよ。
    私は英語だけでソレをやってきた。
    一昨年英語だけじゃ足らないんだ、に気付かされるまで愚直にずーっと信念を持って。
    多言語が本来の人間の自然って事には全く気付けなかった。
    長男が成人する頃に気付いて、ヒッポファミリークラブの価値にようやっと開眼して、邁進している今。
    子ども達にとって一番身近な存在である母の口から発せられる音が、どれだけの影響力を持っているのかを知っている。
    何故、母語、mother tongue、と表されるのか。
    末っ子が高学年で共に過ごせる時間がかなり少なくなっている我が家と、生まれる前から多言語環境、かつ母の口からの多言語シャワーを浴びられる環境にあるハルの子ども達。
    私がハル一家に生まれたかったわ!!

    • Haru より:

      なんじゃそりゃ🤣うちも精進中です🤣もっと出していきたい!って思ってます!まだまだ足りない!環境をどこまでも、濃くしていきたいよね~ということで、いつでも遊びに来てね!🤣

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