前回の記事で、我が家の多言語環境について書き始め、
スピーカーが増えたのは、マレーシアから帰国してからなんだよ~
というところで終わっていたと思います。
ただ、もともとマレーシアに行く前から、我が家は生の多言語環境で、その中で子どもたちも自然と多言語を使っていた話は以前書いた通りです。
その頃は、スピーカーは家に2個だった?3個だった?
その程度です。
そして、マレーシアのペナン島に引っ越したのが2016年4月。
当時長男4才3カ月。二男1才8カ月。
色々ありましたが、本帰国したのが2019年3月。
一人増えて
長男7才3カ月。二男4才7カ月。三男1才5ヶ月。
その当時の話はまた別で書きたいと思いますが、
次の春で帰国して3年になります。
帰国当初、兄弟の会話はマングリッシュONLY。
つまり、英語でした。
*マングリッシュの話もいずれ(;^ω^)
勿論、7才4才くらいの子が操る程度の英語です。
1才半の三男はというと、
どちらかというと。。。タミル語の波。
上二人は、保育所の影響。
三男は、マーケットでいつも一緒にいたココナッツ売りの夫婦の影響、
といったところです。
しかし、もちろんのこと
日本での生活が始まると、
あっという間に日本語が増えていきました。
それでも、兄弟間ではマングリッシュの方がスムーズに話せている状況には変わりありませんでした。
でも、
帰国して半年ほどたった頃には、
兄弟の会話ですらマングリッシュは消えてしまいました。
自然なことだとは思います。
周りは全て日本語の世界。
そんな中普段の言葉が日本語にならないはずがない。
でも、正直ショックでした。
せっかく、子どもが小さい時を狙って日本をはなれ、得たものだったのに。。。なくすことになるなんて!
という心境。。。
でも、今更どうあがいても彼らのマングリッシュは戻ってはきませんでした。
そして迎えた年の暮れ。。。
12月に入る直前の頃だったかな?
マレーシアはイポーから、中高生くらいのお兄ちゃんをホームステイで受け入れる機会がありました。
単に、
ホームステイの受け入れをしてみたい!と思って受けただけだったんですが、
まさかの好影響!
なんと、
そのお兄ちゃんに出会ったその瞬間から、
子どもたちが、
普通に、
自然に、
マングリッシュで会話していたんです!!!(; ・`д・´)
衝撃でした!
消えたと思っていたんです。
もうなくしたと。。。
でも、違いました。
日本語をしゃべる人に日本語で対応していただけだったんです。
相手が英語を話す人だから、自分の中にうもれていた英語を使って話しただけ。
あのまま使わずに何年も経っていたら、本当にいざ使おうとしたとき、さっとは使えなかったかもしれません。
でも、一度自分のものにしたものは完全に消えることはないのだと思います。
言葉は人によって引き出される
それを あの時、目の当たりにしました!
そして、その後です!
お兄ちゃんがマレーシアへ帰ってしまった後も
これをどうにかしてKEEPしたい!
この状態を日常にしたいと思いました。
続きます!