二男の言葉の成長~マレーシアに引っ越す前 編~

多言語

 時は遡り、2016年の春 家族でマレーシアはペナン島に引っ越しました。

引っ越しが決まったのは冬でした。それからたった1カ月ほどで船便の荷を送り、春までに家を空っぽにするという一大事業がありました。。。( ;∀;)

4歳になりたての長男1歳ちょっとの二男をかかえて必死の引っ越し準備でした。

詰めた箱から順に荷物を出されるから、不要な箱を与えておくことに!

その頃は、よくポルトガル語と日本語を話す日系ブラジル人の友達と

ベトナム語と英語が話せるベトナム人の友達と一緒に過ごしていました。

公園で子どもたちを一緒に遊ばせたり、各々の家で料理をふるまいあったりしていました。

引っ越しが決まったとき、彼女たちはすごく残念がってくれました。そして引っ越しの準備を一緒にしてくれました。正直とても助かりました。

そうやって毎日のように彼女たちと過ごしていたおかげで、知らず知らずのうちに生の多言語環境に浸っていたんだと今ならわかります。

3人の完全な共通語はなかったけれど、子どもたちの上で飛び交ってるのは、ベトナム語、ポルトガル語、日本語、英語の4か国語!

よく考えたら、すごく贅沢な時間でした。

ベトナムの家庭料理いただきまーす!

当時の記録には、

【次男1歳数か月の頃、飲み物が欲しいときにいつも「チャ(茶)」と言っていたのに、なぜか「ジュ」と言うときがあることに気づいた】とあります。

ジュースなんて飲ませてなかったし、どこでジュースなんて覚えたのか不思議に思っていたけど、よくよく気を付けて聞いていると、一杯目は「チャ」、二杯目以降「ジュ」になるのです。

そこで、これが「ジュース」の「ジュ」ではなく、

「ジュノーブ」の「ジュ」であることが判明したわけです。

つまり、「もう一回、もう一杯」とポルトガル語で言っていたわけです。

当時いつも一緒だった彼女たちとの生活の中でひろった音なんだと感心していました。

じぃじの畑の葡萄おすそ分け!

おかげで、「GoGo!」と言いながらトイレに行ったあと、ちょろっと出して立ち上がったとき、「まだ出るでしょもう一回、最後まで出し切ってくれー!」ってときは、

「ジュノーブ」と言うと、もう一度便座に座ってくれました。

生後二か月半から尿意便意を教えてくれていた二男でしたが、ペナンに行く前には完全に布パンツで過ごしていました。その話もいずれまた書きたいと思っています。(*^▽^*)

ちょっと座り方ちがってますが(;^ω^)

もう一つそのブラジルの友達の影響をあげるとすると、手のサインです。

日本では、「こっちに来て」というとき手の甲を上にして指を下に曲げ手招きしますが、

二男は彼女の元で過ごす間にブラジル式(欧米も一緒だとは思いますが)の手招きが身に付いたようでした。

今でもそれは変わらず、私を呼ぶときは手のひらを上にして親指以外の四本を自分の方に向けてまげて、つまり日本式とは上下逆の状態で手招きしています。

みんなで飛行機の見える公園まで遊びに行ったことも!

また、ペナンへ向かう際、空港で飛行機を見た時は「バン、バン」と言っていました。

友達のベトナム人が空を飛んでいる飛行機を見るたびに「マイバンッ」と言っていたのを思い出しました。

きっと、二男の記憶にその光景が残っていたんだと思います。

小さい頭と体でいっぱい吸収していっぱい音をため、伝えたい時に彼女たちからもらったその音を自然に出してきているのが伝わってきていました。

思い起こせば次男は、こんな感じで本当に素敵な言語環境で育っていました。

今思い出すだけでもとても面白い成長をしていました。

そして、私はいったいどれほどの成長を見逃しているのか・・・とも思います。

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