1才8カ月でマレーシアのペナン島に引っ越した後の二男の変化について。
一つ前の記事で書いたように、
次男は日本にいながらにして既にCDの音だけではなく、
生の多言語環境にありました。

ブラジル人やベトナム人の友達の中で育ってきた二男は、日常生活でも彼らからもらった言葉を少しづつ日常で使っていました。
そして、マレーシアのペナン島に引っ越したら、
今まで以上に濃い生の多言語環境が待っていたのです!
感激でした。

毎日のように家の裏にあるローカルマーケットに出かけたり、
家の下にあるプールに行きました。

そこに用事がなくても行きました。
なぜならそこに行く真の目的は、人に出会うためだからです。
そんな日々を送ることで、
つまり様々な音(言語)の中で生活していたことで、
二男の口から発せられている言葉、音の波が日本語のような単調なものではなくなっていました。
何とも言えない抑揚のある波の音をしゃべっていました。
伝えたいことは100%わかりますが、
何を言っているかは、聞き取れませんでした。
でも、こちらの言ってることは100%通じていました。
まだ日本にいたころ、
二男が1歳過ぎたくらいの頃に、
「フォークいらんから置いてきて。代わりにスプーン持っておいで」
など結構難しいことも難なく聞き取り実行できていました。
言えていなくても言われていることはこんなに複雑でも分かるんだなとひどく驚いたことがありました。
そんな感じで、自ら言うことはありませんでしたが、
長男同様次男も

引っ越して一カ月もたたないうちに「ロンパイッ」(マレーシア語でJump)と私が言うとジャンプしてプールに飛び込むようになりました。
それを見ていたマレーシア人が「パンダイパンダイ」といつもほめてくれていました。
数日後、別の場面で「パンダイパンダイ」と二男をほめてみると自分で拍手していました。

長男も同じような状況で、やはり同じように自分で拍手していたので、兄の真似にもなるんだとは思います。
だけど、既にただの真似でなく、二男自身が分かってる!としか感じられませんでした。
日本語だろうがマレーシア語だろうが、英語だろうが、
自分が褒められていることははっきりわかっていると確信しました。
それにしても、ものすごい吸収力です。

プールに関して付け加えると、一歳にして確実に泳げるようになりました。
飛び込んだ後、5mほど金魚のように手足をばたつかせながら泳いで進んでいました。
壁を蹴ってけのびをして泳いだりもするようになりました。
家の下にプールがあるだけで、ついついプールに行ってしまう!
そして教えるわけでもなく勝手に泳げるようになる!
この意味でも、環境ってすごい!と思いました。
*マーケットやプールでの話も書いていきます!お楽しみに!