ペナンに引っ越して約一ヵ月後から、
長男は15時半まで預かってくれる中華系の保育所に通うことになりました。
決め手は送迎バス。
しかも、そのドライバーさんが、とっても優しかったので更にラッキーでした。
長男もすごくなついていました。

福建省にルーツを持つおじいちゃんドライバーで、
時々帰りのバスに私も途中から便乗させてもらったりしました。
つまり、町にバスで買い出しに行った帰りに
「帰るの間に合わなーい!」
という状況で、今どこにいるか確認の連絡を取ると、
わざわざひらってくれたのです。
今の日本ではまず考えられないけれど。。。

それはさておき、
保育所では子どもも先生もみんな英語のみの使用というのがルールだったようで、
長男の生活はすぐに英語漬けの毎日に変化しました。
あっという間に慣れたようで、
先生からは何も心配はいらないと言われ、実際長男も毎日楽しそうに通っていました。

当時長男は、他の友達や家の周辺で会う人とコミュニケーションがとれるのが嬉しかったようで、
いろんな人にどんどん話しかけていました。
マレーの人だけでなく、欧米の英語圏の人も長男の英語を分かってくれているようでした。
ある日普通に会話が成立しているのを見て、びっくりしたのを覚えています。
当時、家ではまだ長男は日本語で話すことが多かったからです。

後で気が付いたことですが、
その頃には日本在住時に染みついていた方言が完全に抜けていました。
言葉がみるみるうちに変化していくように、お絵かきにも変化が出ていました。

上の写真は、長男が大好きなマンゴーの絵をかいたものです。
とても色使いの素敵な絵がかけたな~って思ったんですが、それより気になったのが、
その下に長男自身が自ら書き足した日づけ!
私は子どもの絵に、いつ描いたものか分かるように極力日付を入れるようにしていました。
それをマネして書いたようなんですが、
その書き方が、既に日本の書き方と違っていました。
つまり、日ー月―年の順になっていました。
「7」の書き方も既に変化していて、一画で書ける7に変化していました。
長男のマレーシア化の発見!といった感じで日々楽しく見守って生活していました。