初めて 講演会で講師をさせてもらったときに
最後のまとめに
何の気なしに
「子どもの母語を増やしてます」
と言ったのを覚えています。
特に 深い意味はなかったのですが、
今まさに 子どもたちの日常を見ていて
それを実感せずにはいられません。
環境にあるものは出る!
とはいうものの、
きづけば 本当に子どもたちの母語を増やすことができていることに
驚きを隠せないのが実際のところです。
***
なぜそんな話を書こうと思ったかと言いますと、
先日、
Hippoの仲間が遠くから わざわざ遊びに来てくれました。
はじめは 長女二女しかいなかったのですが、
そこに二男三男が帰宅。
いっぺんに家庭内のことばの環境がかわり
普段通りに!
つまり お客さんがいたときは
長女も日本語が出やすかったのですが、
兄貴sが帰宅したとたん
ぐっと日常が出たのです。
面白いくらい色々なことばをつかっていました。
Hippo仲間は もちろんそれを全部受け取れます。
そのおかげで、
一層 言語環境が濃くなっていきました。
この人の前で このことばつかってもOKなんだ~
みたいなのが 分かると
子どもたちはどんどん素になっていきます。
ものの見事に 会話の言語ジャンルが増えました。
音の波っぽいだけのものとかもあって
何言ってるかいまいち分からなくて
これちゃんと受け止めてあげたいなぁって思いました。
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普段、 この状況をどれだけことばを尽くして伝えようとしても
なかなか伝わらないのですが
この場で一緒に過ごしてくれたおかげで
ばっちり伝わったみたいです。
「多言語環境での子育てが本当にできてるんだね!濃いね!」
って言ってもらえました。
「ここにこなければ わからなかった!」
とも言ってくださって!
百聞は一見に如かずではないけれど
現実を見てもらえてうれしかったです。
一番びっくりしたのは
「Haruが結構多言語喋ってるよね」
と言ってもらえたこと。
正直、
なかなか多言語を常日頃出すのは難しく。。。
まだその境地には至ってないし、
子どもにかける短い言葉程度なんですが、
それが日常になって
口癖のように出てる分が増えてきているようです。
そんなつもりは なかったけれど、
環境作れてたんだ!と思ったら
本当に嬉しかったです。
自分では気づけないことに気付かせてもらえただけでも
嬉しいし すごくありがたかったです。
***
実は
音は昔からかけてはいたけれど、
多言語の音が溢れる生活は
ここ6年程の話なんです。
母自ら 多様な音を出すのは本当になかなか難しく、
それ以前は
週に一度のファミリー活動で
貯めていくのが精一杯な感じでした。
***
話せば長いので 簡単に言うと
長男が年中さんになる年の4月、
二男がまだ1才の時に、
旦那さんの仕事でマレーシアへ引っ越しました。
色々ありましたが
本帰国は3年後、 長男小2・二男は年中さんになる年の春でした。
その時には三男もいて、帰国当時1才5ヶ月ごろでした。
↑にも書いたように
デング熱の関係で 三男の出産の際
私とこどもたちだけ
半年間の一時帰国をしました。
つまり、
実質 2年半の滞在ということです。
帰国当時、長男二男は英語で会話していましたが、
半年で消滅。
せっかくGetしていた英会話力が残せなかったことに
当時密かに とってもショックを受けていました。
それが、
たまたま初トライした
マレーシアからのホームステイの受け入れをきっかけに
子どもたちの日常に英語(マングリッシュ)がよみがえりました。
詳細は、「我が家の多言語環境」フォルダをご覧ください。
蘇ったというよりは
「ことば」は「人」によって引き出されるんだ
ということを目の当たりにした経験でした。
で、
この状態をどうにかキープしたい!と思い、
家の中をマレーシアのマーケットのようにしたところから
我が家の多言語にあふれる生活が始まりました。
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まさに これが大成功で、
子どもたちの母語を増やすことに一歩踏み込めたんだと思います。
もちろん いつも言うように
オンラインでつながった「人」とのつながりも大事で、
そのおかげもかなりあって 今の子どもたちの多様な姿があると思います。
その時から、早6年程?
やっと、
環境が見えるまでになってきました。
😭
先日も
ヒッポに全く関係ない人が
子どもの独り言と会話をたまたまキャッチしてくださって
「英語とか何か色々喋ってる?え?今のイタリア?」
って。
そんな感じで
仲間以外にも みえるようになってきたと同時に、
母である私自身もしっかり多言語が出ていると言われ
より一層意識して使ってみたいなって思いました。
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自分のことって意外と見えてないので、
「Haru多言語話してるよ!」
って言われて
初めて自分のこともしっかり見つめ直せました。
ぐらっちぇ!