アイデンティティ

子育て

先月 自分の講座第2弾が一段落。

今月はまた他の地域の方にお声掛けしてもらいお話をさせてもらっています。

その講演会で話した後のシェアの時間のことを書きたいと思います。

***

この日の講演では少し時間が足りなくて

「二言語対立」の話を詳しく話すことができませんでした。

だから、

小さいグループでのシェアの時間に

さっき話せなかったんだけど。。。

という感じで付け足しのように話をさせてもらいました。

内容は過去に書いた↓この話のことです。

簡単にいうと、

二言語だと対立してしまって

環境により多くある方の言語だけが残ります。

勿論例外もあるとは思いますが

多くはそんな感じの様です。

で、

この話の後に 現実問題として

「英語」の習得を重視するあまり、

例えばインターや国外に行って「英語」を話せるようになることと引き換えに

「日本語」がうまく操れなくなるというケースをよく聞くという話をしました。

勿論 すべてがそうというわけではないですが、

確実にその問題は存在しています。

結果どうなるかというと、

アイデンティティの喪失。。。という状態につながります。

≪あっちにいたら 「外国人」

こっち(日本)にいても 「外国人」

って言われる。。。

私って何者?≫

みたいな悩みを抱くようです。

なんて悲しい。。。と思います。

どっちでもない・・・何者でもない。。。

そんな感覚に苛まれるようです。

どっちでも「ある」と思えればいいけれど、

そうはいかないようなのです。

そんな話をしていたら、

その輪にいた方が、

「あ。。。今分かった・・・」

って呟かれました。

彼女は長年Hippoに所属してきて、

ここで子育てをし、最近ばぁばになった方。

何が分かったかというと。。。

「うち子ども3人いるんですけど、

『みんな 染まらんなぁ~』

って言われてきたんです。

どうやら、学校の先生からしたら

ちょっと髪の毛染めてたりとか

学校のルールから外れているような子たちと仲良くしてると

悪影響を受けるという認識があるようでして。。。

でも、うちの子たちは そういう子たちとも仲良くて。。。

先生方が心配するんだけど、

3人共 そういう感じには染まらないというか。。。

それって、つまりそういうことなんだなと。

今日初めて分かったんです。

今までずっと不思議で。

でも、そう言われてきたことは ずっと心に残っていて。

どういうことなんだろうなぁってずっと思ってたんです。

アイデンティティかぁ~」

っておっしゃるんです。

そうです!

間違いない。

『多』の中でいることで

「自分」がしっかり育つんですね。

もちろんいろんなものに影響を受けるんだけど

その中で揺らぎながら育つことで、

中高生の多感な時期に

どれか一つに 何か一つだけに

大きく影響を受けて 一部分に大きく傾き、

下手したら 倒れる…なんていうことがないんだと思いました。

『多』で育つことで

こんな効果もあるんだと改めて思いました。

だから 

ここで育った子たちが

みんな文字通りキラキラして しっかりしてて、かっこよく見えるんだ!

実際かっこいいんだけど!( *´艸`)

「自分」というものをしっかりもってるからなんだなと

何かに出会ったときに「他」を排除するのでなく

「多」として受け入れたり流したり柔軟に対応できるんだと思いました。

これ、育つときに

「一つ」とか「~だけ」という限定的な世界で育つと

どっちつかずで

「自分」を見失いやすくなるんだと思います。

もちろん全員がそうではないですが。。。

そうやって

「自分」が何者か分からず

大きな悩みを抱え、

すごくしんどい時期を通りながら

いつか「自分」が確立されればいいです。

でも、

それがうまく見つからず

心がいつも満たされない

ぽっかり空いたような

虚無感のような

そんな状態のまま大人になってしまったら。。。

と思うとしんどいですね。。。

私の場合はどうかというと

Hippoの中で育ったわけではないですが

いわゆる田舎の隣近所みな家族みたいな場所で育ち

自分の年齢とかけ離れた人たちも皆「友達・家族」のように

あだ名で呼び合う仲でした。

つまり そういう「多」の中で成長してきたんです。

もちろん「自分」っていうものが前々からあったとかではないですが、

それでも自分のいい面悪い面と仲良く付き合ってきた方じゃないかと思います。

日本も全都道府県うろうろしてたし

国外もそれなりに色々と回ってました。

いろんな場所でいろんな人に出会い

いろいろな経験をして、今があります。

自分というものを見つめるには

やっぱり「人」に出会ってはじめてわかってくるんじゃないかなと思います。

人の中で生きていく上で

自分が分かってないとうまく生きていけない。。。

生きにくいように思います。

自分が子どもの時に

学校で「アイデンティティ」って言葉を聞くたびに

それがどうしたんよ。。。

って思ってましたが、

本当に細胞の「核」のように大切なものだったんだなと。。。

「人」って漢字の成り立ちも

「人間」っていう漢字も

本当に納得のいくでき方をしているんだなと。。。

他がどうあれ、自分はこうなの!

という ゆるぎないもの があれば「自分の」人生を生きられるなと。。。

人を妬むとか悪い意味での羨ましいでなく

尊敬できたり すごいところを発見できたり いい意味での羨ましいな~

っていう感情で接することができることで

そういう人たちを 自分の糧として成長していけるなと思いました。

『多』の中で育つことの

素敵な効果に 改めて気づかされた日になりました。

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