↑先月、この講演会に参加した後
みんなでお昼ご飯を食べながら話していたら、
夏に山奥でのキャンプに参加してくれたママさんが
壮大な。。。それはそれは壮大な。。。
私にはことばにもならないような話をしてくれました。
言いたいことに共感はするけれど、
その想いの全部もわからない私。。。
でも、
とにかく感激したのでブログに書きたい!ってことを伝えました。
だけど、到底 書けないから
今語ってくれた話を文章化してほしい!!!
と切に願ってさよならをしました。
***
9月30日、Hippoの44期が終わるその日に
駆けつけるように届いた手記!!
その日のうちには開けなかったんですが、
今月、Hippo45期に入って、
「そうだ!ばたばたしてたけど手記頂いてた!」
と思って読んだら、ひっくり返りました。。。
ここまでのものが届くとは到底想像してなくて🤣
すごすぎて、最初ことばにならなくて🤣
紹介が遅れたことをお詫びしますといった感じ🤣
では、ぜひ読んでもらいたいと思います。
超長文になります。
時間のある時に、「章」ごとにでもいいのでぜひ読んでください。
自分の思いも随所でくっつけたから、
余計に長文ですが🤣
お許しください💖
*****
目次
はじめに
第1章「遊び」を考える
*子どもたちのふるまい
*「遊び」は「ことば」の原始的な形
*ヒッポでSADAをする理由
第2章「いのち」の動的平衡
*「いのち」をいただく
*「いのち」をつなぐ
*「いのち」のつなぎ方
*「いのち」はつながっている
第3章 いきもののような組織
*いきもののような組織
*「がん細胞」と「ものを食べる」ということ
*「分かる」と「理解する」
*「人の為」と「利他」
終わりに
*****


*べべフィーは赤ちゃんのふるまいからことばの自然習得を考える別名赤ちゃん研究会というものです。赤ちゃんが母語を習得するのと同じように大人の私たちも多言語を自然に習得していこう。その過程を見つめることで人間の本質をみつけよう。そんな感じです。
↑今書いていて、さら~ってことばになったけど
これなかなか今までことばとして出てきたことがないので、
自分的にかなり衝撃を受けてます!
*****
この第1章の最初の文章は共感してもらえる方がすごく多いと思います。
これが子どものすごいところの一つだと、
いつも思います。
すーっと人の懐に入っていく感じ。
仲良くなるのに、「名刺」はいらないのです。
自然の中での私たちの動きにも
ここまで感銘を受けてくれていたとは気づきもしませんでした。
ここで育ったから、
わざわざアクアシューズなんて私ははかないし
川はいつも裸足です。
真夏の照り返しのきつさも、
石の熱さも 足の裏から感じればいいと思っています。
そういえば、Tシャツで泳いでいたことにも
びっくりされたけど、
万が一の時って絶対普段着だし、
服で泳げてるほうが危ないときに対応できるのでは?
と思ってしまった🤣

これは、真逆で感じてましたね。。。
私より圧倒的に英語テストの点のいい子たちが
短期留学で一緒にオーストラリアに行ったとき
すごくコミュニケーションに困っていて。。。
私はというと、
そんな英語ぺらぺらなんて全く話してはなかったんだけど、
すごく楽しくて充実してて
ちょうど誕生日も重なって本当に素敵な時間をいただきました。
あれから25年ほど経ってるのかな??
今でも仲良しで連絡とり合ってるし行き来もしてます!
最近いけてないけど🤣
だから、
単語数とか正確に話せるかなんて
全然重要じゃないんだなって
当時から思っていました。
友達になってから ちゃんと話せるようになっていった私の英語。
書きながら 今わかります。
まさにHippoでしていることがこれです。
「音」や「人」の環境から 自然に話せるようになっていく。

↑これもわかります!
私もインドやネパール放浪中、よなよな踊ったこともあったけど
それこそことばなんてわからなかった🤣
でも、そっか~
だからよく聞く
「SADA知らないから、踊れないから、・・・」
っていうことばに対して違和感があったのかと思います。
自分でも言ってた時期はあるけれど違和感はずっとあって、、、
でも、
そんなちゃんとすること自体に 意味があるわけではなかったんです。
そもそも「ちゃんと」って何よ🤣
って言いたい🤣
*****
第2章に入ります。↑この話が関わってきます。

私も、同じです。
捌く人もいれば、ただ見守る人、同じ川でただ遊んでいる人
それぞれの距離で「いのち」との対話のその瞬間を迎えていました。
↓ここにも書きました。

ちょうど、私もこの時期「動的平衡」の話がすとんと来た頃で、
あちこちから聞こえてくる話が
全部その話、つまり「動的平衡」にリンクしていたので、
聞いていてドキドキわくわくしかなかったです。
共感もここまでくると、
自分の話にしか聞こえないというか。。。
常に「混沌」の中で「異物」を取り入れながら刷新されていく自分。。。
目の前の赤ちゃんが その一瞬一瞬で進化を遂げるように
自分も まさに いろんな人の話を取り込みながら
自分の経験へと変えることで
変化していってるのを感じています。
↑ちょうどこの話も飛び込んできたところで、
思わず書いたけれど、
タイトルに「動的平衡」って書いた後で、
このブログに書いてるほとんど全てのことが「動的平衡」だよね。。。
って思ったり。。。🤣

↑鬼滅は最初の頃くらいしか知らないので、
詳しくはないけれど、言いたいことは分かるし、
そんなことばが出てくるなんて、かなりびっくり。
「まだ〇歳だから、難しいだろう。。。」
っていう、そういう余計な配慮は本当に如何に意味がないかって
改めて思います。
早すぎるってことは、どんな分野においてもないんだと思います。
わかる部分だけ吸収しながら
わかる範囲を広げていってる子どもたちの
そのしなやかさに憧れます。
もちろん、子どもたちは「分かる部分」とかそんなことも感じてないんですけどね🤣

わぁ~またあらたなる世界を
いただきました。
こうして、また私も今まさに変化していってるのを感じます。
人からことばをもらうって、
本当に世界がひろがるし、
くっきりしたりするし。。。
ちょっとした ことばの差なんだけど、
すごく大きな違いだなって思います。

「いきもののような組織」って本当にすごい表現だけど、
これが本来あってしかるべき組織の姿なのかもとも思います。
上の指示ではなく、みんなが各々動いてそれでいて全体が動くこと程
すごいことってないなと。。。
それにしても、その時に私たちの山奥での姿を思い出しったってのが
有難き幸せ!!って感じです🤣
しかも、Nが神経系、Rが消化器系、私が循環器系って!!
うまいこというなぁって思いました🤣
知ってる人が読んだら、納得しかないんじゃないかな?🤣

「異物」だからと、拒絶してたら
前に進めなくなるんだろうと思いました。
この部分は世の中色々あって忘れがちというか、
やっぱりわざわざ大変な目にあいたくないとかいう想いもあるけれど、
それでは進化しないんだろうなと。。。
肝に銘じます🤣

この方が書いてくれている通り、
この話を交わしたころ、
私の中でも ものすごい変化が起きているときで、
ことばにせずにはいられないというか。。。
ことばがあふれるというか。。。
そのうちの一つの話がこちらです↓
これも良ければぜひ♪
受け手が「主体」という話もかつて書いたことがあるので、
ぜひこちらも併せて読んでみてください。

なんというか、雲のような感じ。
つかめたような つかめなかったような。。。
でも、周りの幸せが自分の幸せにつながっている感覚はすごくあります。
特に今私が楽しんでいることがまさにこれで、
もっとこの環境のことを知ってほしくて
そこら中に種をまきまくってる感じ。
*このブログを毎日書き続けてるのも、まさにそれ。
この種まき、見方を変えれば
人の為と思われがちだけど、
私が楽しくて勝手にしてる部分が大きいです🤣
具体的に言うと
日常の活動のファミリーという場を増やしたいのです。
自分のファミリーのメンバーが増えるどうこうではなくて
ファミリー自体が増えることが楽しみで仕方ないのです。
地域全体が豊かになることが目に見えているし、
それって、つまり自分のファミリーが豊かになることに
直結しています。
こんな素敵なことってない。。。

そうそう!書きながらどんどん自分が更新されていくから
話が変わっていくんです。。。
このブログも、
同じタイトルなのに中身が若干変化していたり。。。
なんてことは、多々あります。
本当に、生き物のように
頭の中がうごめいているから
今の思いは今書かないと、
もう別のものになってしまうんです。。。
だから、いつも必死!
子どもたちの成長然り!!
今を今書かずして、いつ書くの?
今書かないと、
もう二度と書けないのです。
そんな日々です。
想いは「ことば」に落としこんで
初めて自分で気づけます。
あー自分ってこんな風に考えてたんだ。。。って。
話しながら
書きながら
頭を整理していくことをお勧めします。
体験はことばにすることで
初めて経験になるんじゃないかなぁって思ってます。
そして、これはすごく大事なことだと思います。
↓2年ほど前に初めて書いたかも?以来、ちょくちょく書いてます。
ことばにすることの大切さ!
そんなわけで、
超長文の回になってしまって申し訳ありませんでしたが、
本当に素敵な手記をいただきました!
***
私の余計なことばなしで
ばーって読んでもらったほうがいいとは思いましたが、
私もつっこみ入れたかったのー!🤣
ということで、お許しください♪










