↑ここにも書いたように
私、気付けば
子どもたちへの接し方が
昔とずいぶん変わっていることに気付きました。
ことばにしたら たいした話ではないのですが、
「教えない」と「待つ」。
この二つが
知らない間に自分にしみこんでいたのです。
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先日保育所で言われたんですが、
我が家の二女、
じゃんけんを知らなかったそうなんです。
(; ・`д・´)
Hippoでいつもしてる!
って思ったんですが、
そういえば、
勝とうが負けようが「Yeah!!」ってガッツポーズしてたな。。。🤣
そうか。。。
知らんかったか!
と思ったけれど、
そういえば、
そんなこと一言も教えたことないわ!って思いました。
**
それで、思い返してみました。
最初は
「カイパイポ!₍じゃんけん₎」っていう音が聞こえたら
①頭降ってうなずく感じの時期があります。
そのうち
②腕ふる感じの時期。
③個人差はあれどグーとパーで腕をふる時期。
④チョキまでいろんな指の形の試行錯誤があって
(左手で抑えてまで右手をチョキにしたり)
⑤グーチョキパーができるようになったら、
親指と人差し指で「L」作ってくる時期があって
↑これなんかは、もう ステージ一個上がってる感じがありますね。
そんな感じで、
どんどんできるようになるとともに、
何が勝ちで、何が負けか
じわじわわかりだします。
教えた場合、さくっとできるのかな?
発達状況にもよるとは思いますが。
でも、
これもことばと同じで
教えなくても そのうちわかっていきます。
それがわかってるから、
今まで教えずにそのまま放置で過ぎていました。
***
そして、
そのこと自体も完全に忘れて
日々「教えない」ことが当たり前になっていたなぁと思いました。
そして、
自分でなんとなくつかんで
そのうちできるようになる。。。
その過程を見るのがすごく好きです。
ただし、
ものすごく時間がかかります。
でも、自分でつかんでいく姿は
とても素敵で、
その力は大人になると共に
忘れされてしまいやすく。。。
だからこそ、
ここで その力を常に使い続けることで
その力をKeepできるんじゃないかなと思いました。
***
これって、
以前話した「長文読解」の力にもつながるんだと思います。
全体をつかんで 答えを当てる。
↓ここにも書いてると思います。
***
先日 そんな話をしていたら、
聞いてくれてた方が 私のことばをさくっとまとめてくれました。
「Haruは、『そう言えば、ずーっと子どもたちに「これはこうやるんだよ」なんて言ってないなぁ』って。親が言わなくても、兄弟、周りのヒッポメンバー、近所の方・・・いろんな人がいる環境の中で自然に見つけていく。それはことばも、生活上のことも。
そんな全てを狭い世界でなく、多世代で多言語の広くて多様な環境で。
ありそうでなかなかないこのような環境が当たり前にあるヒッポの「環境」ってすごいって話題でした。」
↑本当に、
まさにそれです!!
この「環境」が既に「ある」という凄さを 最近しみじみ感じています。
本当なら、0から作らなければならなかった「環境」。
そう! 環境は「あるものではない」んです。
でも、ここにはある。
有難いことに、約半世紀も前からひたすら作り続けている人たちがいて、
私たちは そこに飛び込むだけ!
そして、
肝心なのは
自分も作り手として入り込む!
***
何も言わなくても、
長女はそのうち「じゃんけん」がわかるはずです。
赤ちゃんが 周りの人が何を言ってるかわかるようになるのと同じ理屈で!
そして、
周りの人が 赤ちゃんが何を言ってるのかわかるようになるのとも同じだと思います。
要は、人の中で人に寄り添う力とも言えるような気がします。



