「本読み」も「多言語の音源をうたうこと」も同じ

輪読・講座
雪学の帰り:やりきった顔

先日書いた↓この記事の新小3女子「K」!

上にあるように

「分からない」を知った時に、

「サクッと教えることはできるけど

多分そのうちわかるし、

自分で分かった方が絶対面白いから

何回でも読めばいいよ」

と伝えておきました。

そして、

またいつもの本読みの日(日・月の20時頃)が来ました。

そしたら、

「何回も読んだら分かるって言われたので

同じところ読みます!」

って宣言のもと、再読してくれました。

読んだ後のコメントで

やっぱり迷走!

そりゃそうだ!

そんな簡単じゃないよね~

って思います。

でも、きっとこのままだと

毎週この場所を読もうとするだろうなと思ったので

「次読めば分かるかもだし

何十回も読まないと分からんかもしれんよ。

ここばっかり読めば分かるかと言われると

実はそうじゃない気がするなぁ~

いろんなページ読んでみたら

同じような内容があって

そんなのがいっぱい重なって

そのうちに

またこのページに戻ってきたら

意味わかるかもね!」

って言ってみました。

自分で 言いながら

そうやん!Σ(・ω・ノ)ノ!

ってハッとしました。

これ、

本読みの話だけど、、、

まさに

普段の多言語の音源をうたうことと

同じだわ!って思いました。

全く意味不明な多言語の音源の真似をして、

何回しても全くつかめない日々。

でも、ふと分かるときがあったり、

何年も前になんか好きになって同じシーンずっとうたってたところを

何かの拍子でかけたり、うたったり、聞こえてきたりしたときに

ふと分かったりして!!

降臨!

って感じなんですが、

それと同じ気がしました。

まわりまわって伏線に気付く的な感じ。

経験ってそういうものなんだろうなって思いました。

一つから何かが分かるようになったり

できるようになったりするんじゃなくて

いろんなことが 

見えないつながりの中で

重なって身になっていくというか。

一年この時間を細々続けてきたことで

改めてそんなことを思わせてもらえました。

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