Hippo/多言語の環境で育った方の話を聞きました

輪読・講座

今朝は Hippoの環境で育った方の話を聞く機会がありました。

わが家は、

第一子の長男が1才になる前から ここで子育てをさせてもらって、

そんな長男が この3月には小学校を卒業する年になりました。

あっという間。

日々、ファミリーという とても暖かい目の中で 

大きな安心感をもって 

プロセス重視の子育てをさせてもらってる中でも

子育てって 日々色々と起こるから 

不安があったり 心配があったりします。

それでも、

ふと今朝みたいに ここで育った方の話を聞くと、

絶大な安心感があります。

元々物事に〇×をつけるタイプだった私ですから

やっぱり 何かしら厳しくしすぎて

子どもを潰してしまうんじゃないか

という一抹の不安のようなものがありますが、

私がどんな大きな失敗をしても、

ここで子育てしている限り、

子どもたちは大丈夫だ!という安心感があります。

すごく矛盾した言い方かもしれませんが、

心の底からそう思っています。

***

今朝話してくれた方は

終始穏やかな語り口調で、

ひとつひとつ とても丁寧にことばを選んで話してくれている印象をうけました。

ことばを 大切にしているのが すごく伝わってきました。

***

印象的だったのは、

彼自身が小さいときにここで育ったから言えることと、

大人になってから感じた多言語の面白さという両面の話をしてくれたことです。

多くの子育て世代の人は、

子どものためにと思ってHippoに飛び込む感じですが、

彼は、子どものためにもいいんだけれど、

大人と一緒にするからいいし

大人だから感じられる楽しみ方もあるという話をしてくれました。

確かに、

親が楽しんでる家庭ほど、 子どもも楽しそうだし、

昔から親の背を見て育つと言います。

その通りだと思いました。

他にも、

「当たり前(普通)の境界線を 押し広げていくのが、自分にとっての多言語体験」

ということばが飛び出ました。

すごく素敵な表現だなと思います。

そこら中にある 目に見えない境界線だらけの世の中!

それを押し広げていく。

それが多言語体験!

確かに!

何も日本から離れた話をしてるわけじゃないんです。

我が家には我が家の、お隣さんにはお隣さんの「当たり前」があって、

それを「違い」として排除したり壁を作るのではなく

どれも同じ「人間のことば」という普遍性を見つける手掛かりにする。

ほんの些細なことなんだけど、

意外とさくっとできることではなく。。。

でも、それがかれにとっての多言語体験!

そんなことばがでるなんて素敵だなと思います。

そして、

このイラストはHippoの人にしか分からないかもですが、

ファミリーでやってることって、

本当に自然のプロセスそのままの活動なんだなと

改めて思いました。

40年以上の歴史の中で残ってることは

やっぱり自然なんだなと思いました。

自然を突き詰めて

当たり前に向き合って

嘘のない活動をしてきた人たちが

形作ってきたこのスタイルは

人生そのものだったんだなと。

そして、

いつもみんな言いますが

これは誰にでも起きることで

決して特別な人だけに起きることではないのです。

目の前の人と一緒に新たな世界に!

飛び込むか 飛び込まないか

それだけです。

陳腐なことばしか 出ませんが、

世界は 本当に 目の前から広がっています!

***

ちなみに、

以前 彼のお母さんの話を聞いたときの記事もあるので

是非ご一読ください。

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