↓下の記事でも少しふれましたが、
べべフィーに行くようになって
私に二つのことが起きました。
一つは↑記事に書いたように
視点が変わったこと。
これのおかげで、日々のイライラがかなりマシだと断言できます。( *´艸`)
最近 末っ子長女がイヤイヤ期真っ盛りなのもあって
いろんなことが同時進行に起き、
さらに上の兄貴たちも それぞれにいろいろやっちゃってくれるものだから
こっちもヒートアップしそうになるんです。
そんな日常だけど、
やっぱりふとした時に
ちょっと俯瞰的に見れる自分がいます。
ちょっと離れて落ち着いて考えられるというか。。。
この現状を、楽しめる時があるんです。
実際は惨劇なんです。
酷いんです。
でも、それを笑えたり 楽しめたりしてる自分がいることに 感激しながら生活してます。
で、もう一つが
事象しか言えない自分との闘いでした。
どういうことかというと、
「今我が子は生後〇ヵ月で、最近はこんな感じです。」
っていう事実を言うことはできるんだけど、
だから、私はどう思うとか 何を感じたとか、こう考えた・・・
そういう考察の部分がなかなかできませんでした。
特に、自分の中の多言語の赤ちゃんと重ねて考えるなんて、、、
そんなの どう頭をひねったってできませんでした。
本当に 私にはかなり難しい技なんです。
そういうのを自然とやってるべべフィー参加のママさんたちを前に、
ひたすら感激してました。
でも、そういうのもやっぱり知らずに成長はするもので
今は自分の考えを巡らすのが楽しいです。
いつから自分の口から出るようになったか。。。
この数年の話かなと思います。
***
で、先日、
私と同じように 自分の体験、
特にことばの成長や発見を語るのが苦手だって言う方の話を聞きました。
大学で留学していた彼女は その報告会で当たり前のように
ことばに関する体験を求められたけど、
彼女はそれを口にすることができなかったそうです。
私はYL(イヤロン:高校留学)に行ったわけではないけれど、
彼女のかかえているものは、私のその状況とよく似ている気がしたんです。
ことばの体験を、発見を、 話せと言われても
そんな簡単にでてきません。
出る人すごい!って本気で 私も思います。
ただ、彼女はそこで凹むわけではなく
自分の道を探し始めました。
多分、「ことばと人間」をやっている以上、
ことばの発見話をしない自分は異端?だと思っているんだと思います。
そう思わずにはいられない何かを周りから感じてしまったともいえるのかもしれませんが。
気持ちは分かるなと思います。
私もすごく苦しかった。。。事象しか言えなかったから。。。
で、彼女が自分の道として選んだのは「絵」の道でした。
ボランティアとして渡航を決めたそうです。
しかも、2年も。
留学から帰ってきてそれなりに年数経ってると思いますが、
決断したようです。
こういう人生もあるよって
つまり、大学で留学する人生もあるよ!
卒業してからでもいくらでも外に出る方法やチャンスはあるよ!
っていうことを
これから 外に出る高校生、大学生くらいの年代の人たちに伝えたいとも言っていました。
***
今回話を聞いていて思ったのが、
彼女はことばの話はできなかったといいましたが、
子どもたちと「絵」を通してコミュニケーションをとっていた話をききました。
ことばができ始めるころの子たちと「絵」を通してコミュニケーションをとっていた時点で
十分「ことば」の話をしていると思いました。
そう!お絵描きプロジェクトのことを思い出しながら聞いていました。
この話をもっと詳しく聞いてみたいなと思いながら。。。
***
あと、
色んな人の話を聞いて最近本当に思うのが
留学に行ったら行ったで 悩みながら生きてるし
行けなかったら行けなかったで
行かなかったら行かなかったで
みんなそれぞれ色んなことを悩んだり苦しんだりしながら生きてます。
そういうの全部ひっくるめて
本当に何を決断して どう生きるかは 本人次第だなって思いました。
ちなみにみんなが苦しんでるだけなんじゃなくて、
昇華に向かって逞しく生きていて、
一回りも二回りも
強くかっこよくなってるなーって
人として惹かれる。。。
そんな人になってるなーって。
憧れます。
***
話は戻しますが
きっとこれから先も 彼女は
周りのことばに流されず
自分の道を突き進んでいくんだろうなと思った次第です。
最近の帰国生の報告を聞いていても思うのですが、
留学中に独りで考えて決断してという日々の繰り返しが
人をぐっと強く深くしているんだろうなと思いました。