先日の新人フェロウ合宿!
そのときのことをあまり詳しくはかけてなかったと思うのですが、
全部を書くのはちょっともう記憶もとんでいってしまってるので、
一番心に残ったことだけシェアしたいと思います。
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一番心に残ったワードは、
私たちは「究極の不自然」をやってるんだ!って言い放ったママさんがいまして
そのことばが頭から離れない感じです。
彼女は高校で英語を教えています。
「文法は教えることができるけど
ことばを教えることはできない!」
そういっていたのが印象的でした。
確かに、
ルールは教えられるけど、
言いたいことを教えてあげることはできないから、、、
そういう意味でも
確かに ことばを教えることはできないなぁと思いました。
しかも
ことばって時代によってどんどん生き物のように変わるし・・・
さらにいうと、
この活動は、正直、なくても生きていけます。
でも、あると人生がかなり濃く深く豊かになります!
これは、実感しないと伝わらないと思うので
多くは語りませんが、
少なくとも 毎日書くのが追い付かないほどには濃いです!
色々ネタが見えてしまう状況に陥るくらいには
日々とっても楽しく生かせていただいてます。
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書くことない。。。。どうしよ。。。。ってなったことがない。
それくらい、濃い日々。
それは、何かしらのイベントが日々あるというわけではないです。
当たり前の日々の中に
「何か」を見つけるのが楽しくて、
それが見えてしまうのが面白くて。。。
「何か」って何かといいますと。。。
例えば、
子どものちょっとした成長や
自分自身のことなどなど。。。
本当に些細なことから
これ大発見じゃね??ってことまで🤣
とにかく 一瞬一瞬が
子育て?日常?のイライラから
発見のキラキラに変わった感じです。
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話はもどって、
「究極の不自然」といったママさんに
今思うことをまとめてみて~!っていったら、
手書きでくれたので、写真でシェアしたいと思います!

↑これを読んで改めて思うのが、
「そう!この環境をなくしたくないの!」
ってことです!
ただし、
これは一人でぎゃーぎゃーほざいてても無理で。。。
仲間が、一緒に走る仲間が必要なんです。
このママさんの言う通り、
一人ではできないんです。
だから、常に発信が大事で、
人との対話でのみ続けられる活動なんだと思いました。
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で、なぜ「多」なのか。。。
最近本当によく思うのが
「多」にすることで「違い」に目がいかないんだということ。。。
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少ないと「違い」が目立つ。
だけど、多いと違いというより「同じ」が見えてくる気がします。
あれも、これも、ここ、あそこも!!おなじやん!
って、そんな感じ。
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点と点の間が埋まっていくというか、、、
隙間がなくなっていくというか。。。
イメージとしては
いつも球体な感じ!
以前書いた「紀州手毬」の話につながるなぁって思いました。
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そんなことを思いながら改めて「究極の不自然」について考えていたら
また別のママさんからメッセージが舞い込んできました!
↑彼女は夏に「異化と同化」ということばを私にくれた方。
以来、そのことばが頭を離れたことはありません。
全て、日常の全てにおいて、
「異化と同化」を意識しながら過ごしてきたこの半年。。。
そのママさんからのメッセージです!
「(動画)見たよ~。なるほどね~。
Haruの「異物になる覚悟」はブログを読んだ段階では、「興味のない人のところにも飛び込んでいって巻き込んでいく覚悟」かと理解した。
でも、この動画を見たら、ヒッポ内で、賛否両論どんなことがあっても、自分の信じるところを進んでいこうという覚悟だったんだ~と思った。
私は異物を取り込んでいく覚悟はしていたつもり。だけど、「異物になる覚悟」だなんて、そんな発想はなかったし、そこまでの覚悟があることも思いもしなかった。
あの夏の文章を書いている時に、ああ、私は排除されないギリギリを生き続けるガン細胞になりたいかも、と思ったけど、異物になって、相手に取り込まれるとは…
すごいわ。」
・・・ちょっとびっくりしました。
おおおお・・・・そおういうことか!
言うた本人、私自身、あんまり把握してなかったけれど、
確かに、そういうつもりというか、
そういうことになるのか!
ってびっくりしました。
私、おもしろいこというてるー!
って今頃感動してみたり🤣
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でも、確かに思い当たる節はあって、
多言語をうたってるetc日常の生き方とか
全てをシェアしてます。
このブログでことばでシェアすることをはじめ、
LINEやZoomでリアルにこんな生き方してます的なのを出してます。
なぜ、そうしはじめたかというと、
多言語を「日常」に落とし込むのが難しいっていう人がたくさんいたから。
もっと簡単に、かつ適当でいんじゃない?っていう提案の気持ちでOPENにしてきました。
我が家、全然真面目にやってないよ!
こんな適当にやってるよ!
うたいながら、
喧嘩もしてるし料理もしてるし宿題もしてる。。。
いつも ながら聞きだし、ながらうたい!
でも、毎日つづけてるよ!
それだけだよ~!
そんな感じ。
それって、
自分自身がある種 異物になるってことに 既に近かったんじゃないかなと。
それを今度は
Hippoを知らない人にというわけでなく
Hippoしてる人に対しても
覚悟をもって向き合っていこうと そういう話だったのです。
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そんなこんなで
抽象的な話はおいといて、
最初に戻ります🤣
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私たちは究極の不自然をやってる。。。
やってるとは思います。
でも、
私にとっては これはすごく「自然」。
全然無理してないし、
なんなら、すごくフィットしてて生きやすいんです。
初めてHippoに出会ったときも「息ができた」って思いました。
水を得た魚とは、Hippoの私のことだと
そう思うほどに、
ここに出会ったこと自体が幸せです。
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ということは、
私にとっては「不自然」ではないのです🤣
Hippoの創設者であるさかっちゃんも言ってました。
「自然に!」
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そういえば、
私、Hippoに出会う前から4言語CDかけてました。
家で既にしてたんです。
自分で不自然を作り出して究極の不自然を楽しんでました。
それが私の自然でした。
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ふと、目をつぶれば
目の前に広がる風景があって、
それは私が生まれ育った山奥。
山奥だけど、
深い山と人が住む山奥には多少の差があって、、、
里山って感じ。
里山って、人が作った自然です。
人が作った時点で「自然」ではないのかもしれないけれど、
でも、その里山を「自然」と人は言います。
それに似てるなぁって
じわぁっと思いました。
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この手記を書いた方に このブログを読んでもらったんですが、
その時に、「別に否定してるつもりはないから」ってことを
伝えました。
一見、彼女のことばを否定してるとも取れないかもしれない。。。
と思ったからです。
でも、ちゃんと伝わってました!!
彼女のコメント↓
否定された!とは思ってないからめいぐゎんし〜!!👍
私もヒッポがやってることは不自然だって言ってるという誤解はされたくない!それは真意ではい!でもこのことばの受け取り方ってほんと人それぞれだろうと思う!
私もない方がもう不自然なくらいにヒッポが日常だし、日常にヒッポがあることでの発見、ひらめきがめちゃ楽しい☺️そんで自然にことばが習得できる環境を作ってることに嘘はないと思う!
ただ作る人がいなきゃなくなってしまう活動だから、この”自然”を”作りだす”っていうことを、みんなで考え続けてことばにし続けていかないとな、っていう感じ!!
…すごいわかる。
ことばって、ほんとむずかしいなって思います。
真意ではないとられ方しちゃうこと多々ありな世の中です。
でも、彼女のことばをきいて
「よかったー!やっぱり同じ方向、考え、思いだった!」
って思いました。
あのとき、彼女のことばをきいて
すごく共感したんだけど、
書いてて、勝手に
こんな風にことばが紡がれてしまった!🤣
そんな感じだったのでした。
書きながら 自分のこころを整理してる感じだなぁって
最近本当に思います。
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早速コメントくださった方がいて。。。
例の異化と同化を話してくれたママさんです。
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今日のブログも読んだよ。なんかね、あの文章書いた時、自然が全部やってくれるからそれを見失わないように歩んで行けば大丈夫、みたいな安心感を得たのよね。でも、しばらくして、じゃあ、ヒッポをやる意味って何?ってなって、少しふわふわしてた。だから「自然を作り出す、究極の不自然」ってしっくり来たわ~。「自然って何?どうやってるの?」って問い続ける人がいないと見えなくなってしまうのね。「秩序ある混沌」か「ただの混沌」かの分かれ道なんだろうな~
まさにそれだなって思います。。。
だから、ひたすらに声を上げないといけないんだろうと思いました。
環境はあるものではないのです!




