「ふ~」べべは生きる世界ですら線を引いてない:ろうそくの火・水・煙に対する行動から

べべフィー

二女が1歳の誕生日に

ろうそくの火をつかみにいった話をかきました。
↓↓↓

動画は、こちら
↓↓↓

1歳のBDケーキ、ろうそくの火をつかみに!

このブログの中で書いたように

「火をつかむ」ことをしたべべの話を

既に聞いていました。

週に2回やってる

BebeとメタカツTimeで聞いたんです。

そんなこともあるのね~

って思ってたら、

まさかの我が子がしててびっくり!🤣

そこで、

その時みんなにケーキの時の様子を聞いたら、

動画と共にいっぱい事例が舞い込んできましたので

今日はそれを紹介します。

***

ろうそくの火って

ただ消すだけだと思ってたけど

大違いでした🤣

★動画はこの記事の一番下!

***

口の形だけでも色々ありました。
・下唇をだす
・上唇をだす
・ほっぺをぱんぱんに膨らまして

ふーふーの時の様子も全然違ってて、
・フーフー言いながら
・よだれ出しながら
・唾とばしながら

さらには、
フーフーしないのも
いろいろな理由がありそうです。
・こわがって?
・嫌がって?
・関心なし!

本当に、

ふーだけでも

色々ありまくり!

これも一種の「多様」だなと。

思い込みって どこにでも潜んでるなぁって思いました。

いろんなバージョンのふーがあって面白かったです!

*****

動画の中に
真っ先に「いちご」に手を出してるものもあるのですが、
これなんて自分の本能のまま!
この動画に対して出たコメントが、

『1歳の誕生日って、本人はケーキ食べないと思うけど用意してた?
もし、用意してたら歌ってる間、ケーキに手を伸ばしたりしてたかな?
祖母の100歳のお祝いをみんなでした時、痴呆があったのもあるけど、歌ってる間にケーキに手を出すもんだから、ケーキを守るのに必死だったのを思い出したわw
食べたかったんだと思うけど、歳をとるとベベに戻るんだな〜と感じた瞬間だった』

だそうです!

本当にそれはよく思います。

年をとっていくと

できなくなることが増えて。。。

まるで赤ちゃんに返っていく感じがします。

実際常に一緒にいて介護してると

本当に色々思うことは出てくると思いますが、

それでも、

「赤ちゃんに返っていく」っていう見方をしていたら

また心持ちも少し変わったりするなぁと思います。

ちなみに、

私のおじいちゃんは最期の頃

看護師さんの手を常に握っていて 幸せそうでした。

当時は 本能で女の人が大好きなんだなぁとか思っていたけれど

おじいちゃんは単に

「お母さんが大好きな赤ちゃん」だったのかもと思ったり。。。

もう一方のおじいちゃんがしんどくなった時は

一緒に病院に泊まり込んでたんですが、

こっちのおじいちゃんは 

幻聴や幻覚を見ながらだと思いますが

ベットの上でずっと農作業をしていました。

体に浸み込んだ日常は 

そう簡単には なくならないんだなと思ったことを

今でも覚えています。

***

もう一つ動画の最後くらいに

火を消した後に

煙から逃げて

その後 手で煙を追いかけていた子がいます。

煙を取ろうとしているところが

面白いです。

そこでふと思い出したのが

「水をのばそうとした子」の話。
↓↓↓

上2つのブログを書いたときは

ことばにならなかったんだけど、

この 火をつかみにいくところとか、

煙をつかもうとしたり

水をつかもうとしている姿を見ると、

赤ちゃんって

ことばだけではなく

生きる世界そのものに 

どこにも線をひかずに生きてるんだなぁって思いました。 

**

いつのまにか、

火や水をつかもうとは思わなくなってるものなぁと思って。。。

・・・そういえば

昔 雲をつかみたかったことを思いだしました🤣
今は「雲」の正体がわかってしまっているから
水の粒の集まったイラストが頭をよぎってしまいます。。。

***

ちょっと話はずれますが、

土とかもある意味そうかも。

いろんな場面で さわらないようにさせられてるなぁ・・・

どんどん そういう一番大切で自然な姿から かけ離れた生きものに 

人間はなっていってるんだ。。。

と思ったら、

ちょっと残念。。。

且つ 怖いなぁとも思います。

***

みんなが集めてくれた「ふー」の動画↓

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