創造のふるさとは未来に

その他

↑昨日の記事の最後に追記したことなんですが、

『どんな人も、色んな体験して過ごしているんだけど、その体験を自分のものにするかどうかは、体験前も体験中ももちろん大切なんだけど、体験後の過ごし方が大切なんだなと実感。
楽しかったーとか、寂しかったーとかその先にあるものにたどり着けるかどーか。』

ということばが

山の中にぽつんと1ファミリーの

環境としては絶対にそんなにも濃くはないであろう

多言語活動を始めて一年のママさんから出たわけなんです。

ファミリーに参加できても、

多くて週に1回。

遠いので、出れないことだってあります。

そんな状況で、あのことばがでたのが嬉しかったです。

そして、

同じタイミングで長く多言語活動を主催してらっしゃる方から

こんなメールをもらいました。

『昨日は久々にあるZoomの企画で話して、自分としては録画を公表するのも恥ずかしい感じだったんだけど、今朝その後自分に起こったことをNが、話してくれたことで話がまた広がって有意義なものになりました。後日談もシェアしなきゃね。』

私の中では、この二つが重なって、返事に

『昨日のブログにも書いたんだけど、あるママが、体験のその後をどう生きるかが大事って感じたって!やっぱそうだよねー!
そして、それは話すという体験も聞くという体験も入ると、私は思った!
だから、後シェアも大事なんだと思った!!』

って答えました。

すると

お忙しいだろうに、またお返事くださったんです!

『昨日、こちらでも夏の青少年交流報告会があったんだけど、一生懸命話す子どもたちの話、交流を精一杯やってきた子たちの口から出てくることばに感動したの。
そのことからこちらも学ぶけど、今のHaru のことばで、
あの子たちのがんばりは、大勢の人の前で話したあの瞬間に本当に彼らの身になったんだなって思った。
話す体験、聞く体験があって本物になるし、聞いた側は、その時からまた始まるんだね。
ふるさとは未来に
だね。』

って言われて、目の前がさぁ~っと晴れた感じがしました。

実は このことば Hippoでは結構よく聞くことばなんです。

でも、

「ふるさと」に対して「未来」って

なんだか雲をつかむような感じがずっとしていました。

何となくいいたいことわかるようなわからんような・・・

そんな感じ。

それが、

↑上のことばを聞いて、なんかすごくストンときたんです!

またストンか!って思った人いたら ごめんなさい。
語彙力低くて!( *´艸`)
でも、そう思うくらいには 読んでくれてるってことで、
私としては 嬉しいです!( *´艸`)

思わず、『まさに、それー!!!』

って返信してました。

今迄 知ってるって程度のことばが

ここにきて すごく 分かる!と思えたんです。

更に、

その方が、

そのことばの原文を教えてくれました。

Hippoから許可をもらったので、本からちょっと抜粋します。

***

『たとえば、ここに、ハイゼンベルグの『部分と全体』という一冊の本がある。そこにどんなすばらしいことが書かれていようが、それが開かれぬまま本棚にある限り、内容は空虚なのである。その本がひとたび人の手に取られ、開かれ、読まれたときに、読み手の理解するという創造行為を通して、はじめてそのすばらしさが、意味像が読み手の脳裡に実現するのである。講演を聴いている聴衆の場合と同じように、十人の読者は、それぞれのレベルで、理解するという行為を通じて、十人十様の意味像を創造するのである。かつて読んだ本を、ふたたび手にするとき、この言葉はまったく新しい意味像を読者の脳裡に実現するのである。ローマン・ヤコブソンの紹介による、「今世紀の最も独創的な詩人、ヴェリミール・フレーブニコフ」のことばを想いだす。
「創造のふるさとは未来にある。そこから、ことばの神々が送りだす風がしずかに吹いてくる」のである。
生きた意味を創りだし、見つけるという創造行為としてのことばの振舞いは、常にその時間軸は未来に開かれている。言語行為はこのように非可逆的な過程であり、私たちは時間を逆回りさせることなどできない系なのである。』

出展:LEX/ヒッポファミリークラブ 榊原陽 著『ことばはボクらの音楽だ!』

***

今なら 読める この文章。

体に浸み込むかのごとく、すっきりしました。

くりかえし聞いて 音が耳なじむように、

体験を通したおかげで 

再度読んでみると 文字が浸み込んだ感じがしました。

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