昨日のZoomの裏で話していたことの続きです。
この話の後、
まだまだ盛り上がって、
結局夜中もメールで話してしまいました!
お互い忙しいオンマの身なので、
お互いが返事できるタイムラグもあるから
余計に時間かかったのかもですが。( *´艸`)
にしても楽しかったです。
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彼女と話していて最後に大きな話題が出ました。
それは
「べべフィーの視点」
ということば。
この言葉が「線を引いてるんじゃないか」という話になりました。
「このことばのせいで
何か特別なものに仕立て上げてる感がないだろうか」という話にかつてなったそうなんです。
言われてみれば確かにそうで、
私もこれにいつも悩まされてきました。
詳細は省きますが。。。
で、
結論から言うと
「単に
人間の自然を見ようとすること、で良くないか?」
という話なのです。
まさしくその方がすっきりするし、
誤解が生まれない気がします。
「誤解」ということばが いいのか悪いのか、
そこは分かりませんが、
言いたいのは、
べべフィー≠赤ちゃん・子どもを持ってる親の会ではない
ということです。
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よく聞く言葉に
「うちの子はもう育っちゃったんですが。。。」
という前置きがあります。
それもある意味そう思わせてしまってるから、
出てくることばなんだろうと思います。
確かに、赤ちゃんは人間のふるまいの一番根本的なところを見るのに
本当に大切で、いつも原点を思い出させてくれる存在だと思います。
でも、
赤ちゃんだけを見てる会ではなく。。。
私はべべフィーはヒッポの根幹だと思っているんですが、
私にべべフィーは関係ないっていう感じの人も
結構いてまして。。。
それは、まさしく
べべフィー=ママの会的な認識があるからなんだと思います。
「大人の赤ちゃん体験」っていうことば
これも、そのせいで出てきた言葉なんだろうなと
改めて思ってみたり。
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ここでふと思い出したのが
うちの子たちの「トイレのサイン!」の話。
トイレに行きたいって言ってるように感じたんです。
生後二か月の時に。
人に言うと、
は???(; ・`д・´)
って言われます。
でも、その思いを受けてトイレに連れて行ったことで、
生後二か月の二男が
またトイレに行きたいときに
同じ行動をしたんです。
詳細は↓こちらにあります。
私がここで言いたいのは
思いを受け取ってこっちが行動に移したら
それ以後、私たち親子の間で
「トイレ」に行きたいということに関する
コミュニケーションが成立したということ。
赤ちゃんは やっぱり生まれたときから話してるんだって
訴えてるんだって
何もわからない存在なんかじゃ
決してないんだということなんです。
でも、
この話をしたら、
基本「トイレトレーニング」の早期推奨的にとられがちで、、、
なんか違う。。。
ってなりまして、あんまりこの話はしなくなってしまいました。
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なんだろう「ことば」の呪縛ともいえる
先入観というわけではないけれど
「ことば」に付随するものに
真の意味が持って行かれてしまって、
誤った方向で伝わってしまう感じ。。。
しゃぁーで。。。
***
彼女はいいました。
「なんかね、子どもがある程度大きくなってから
ヒッポ始めた人って
べべフィに来ると
自分はこんなふうに見てあげられなかった😢って
複雑な気持ちになっちゃう人もいるみたいなのね
だから
そうじゃないんだよ、
べべフィはヒッポそのもの、
人間とことばを観察する基本のフィールド、ってことを
べべフィやってるお母さん達が、てかフェロウが
丁寧に伝えていくのは必要かな、とは思ってる」
共感しかないです。
実際、
未婚の方の入会もあるわけで
そういう意味でも、みんながみんなお子さんがいるわけでもありません。
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今朝、私の地域のべべフィーの会がありました。
少人数だったのですごくゆったりとした感じで進みましたが、
とても実のある会だったなと思います。
そして司会をしてくれたのは私の地域の新しいメンバーさんたちです。
その彼女たちが、
最後に司会の感想として
「こんなにも赤ちゃんや子どものことを科学的に見つめている人たちを初めて見ました。
我が子を客観視できるし、そうすることでイライラもしにくいんだろうなと思いました。」
というようなことを話してくれました。
入会してまだ数ヵ月の二人。
私は、そんなこと一言も言ってなかったんですが、
ちゃんとしっかりこの会で
その根本的なところを感じ取ってくれたんだと思ったら
とても とても嬉しかったです。
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Hippoの創設者さかっちゃんが遺した本の一冊に
「ことばと人間ー言語と自然科学ー」
というのがあるのですが、
改めて これを読むときが来た!と思いました。
ページ数少ないのに。。。
積読もうすぐ1年?( *´艸`)