去年YL(イヤロン:高校留学)に送り出した母の一年の変化から 考え思うことなどなど

子育て

去年22年度の高校留学YLとして 

長男がドイツに行ったお母さんが

共に子どもたちをドイツに送り出した仲間の親たち(以下「親ロン」)と一緒にあるチャレンジをしました。

ドイツ語が原著の『部分と全体』という本を読んだのです!

Hippoの創始者である榊原陽こと、さかっちゃんのバイブルだった本です。

彼女のことばをちょっと紹介します!

『イヤロン中の子どもたちに想いを馳せながら、ドイツの地名がで出来たら、どの辺❓って調べてみたり、討論が延々と続く様に、ドイツ人を感じて、分からない文章も、分かることだけフォーカスして想像したり、多言語的に感じて、初めて面白い‼️って読み込みました。部全(『部分と全体』)と仲良くなった気がします!親ロン仲間とは、220ページくらいまで、読んでシェアしました。子どもたちのステイ先&部全の名所を明記した地図を作ったので、シェアしますね。』

この本を、見たことがある人は分かると思うのですが、

そんな簡単に読める本ではないです。

分厚いし、簡単なことばじゃないし。。。

何?何の話?って部分ばっかりです。

正直なところ 私もまだ数ページしか見たことないのです。

長男が この本のことが気になってHippoのメンバーさんがかしてくれまして。。。

結局そのメンバーさんにその本いただきました。

が、私はその本をぺらぺらするのが精一杯でした。

だから、今回長男をドイツに送り出した親たちが

この本をみんなで一緒に読み進めたという事実にすごい!と思ったのと同時に

色々感じながら読み進めることで、面白いって思えた事実に驚愕でした!

仲間がいたからってのもあると思いますが

我が子がドイツで奮闘中ってのもあったと思いますが

にしても、すごいなと。

***

そんな話が出た後、

別のお母さんメンバーが面白い感想をシェアしていました!

多分「分かることだけフォーカスする」っていう話に

影響を受けて感じたことかなと思うのですが・・・

ちょっと こちらも本人の許可を得て紹介しますね!

『日本の英語教育や英語がダメなわけじゃなくて、どうしても「教育」そのものが「出来ない部分」にフォーカスし続けている限り、「どのくらいで話せるようになる?」という質問は続くような気がした。(英語を6年間やってるのに、それしか話せないの?と初めてのアメリカでのホームステイで家族みんなに驚かれました💦)子育ては出来ないことにはフォーカスしないのに、義務教育になったら、急に変わっちゃう。~中略~
イヤロン(高校留学)に行った人たち(年間90人くらい?もっと?)が、その後パパ&ママになってさ、日常生活でも多言語が当たり前の生活をスタートしてるから、それを想像すると、本当にすごいなって思ったんだよ。
Haruのところもそうだけど、言葉も自由な時代だよね。ちょっと昔はアメリカ英語かイギリス英語…どっちがキレイとか、そんな次元の話してた人もいるけどさ。もう、時代遅れ。
ヒッポしてなくても、話せる親はどんどん子どもに話しかけたり、インター入れたり。
これからの子どもが言語習得を「いつになったら?」とか「挫折」とかなんて表現もしなくなりそう。マレーシアみたいに、日本も多言語国家になる日が遠くない気がしてきたんだ。』

って感想のシェアでした!

私、これ見て、すごくワクワクしました。

そうなったら、すてきだなー!って本気で思いました。

正直、私が住んでいるところが結構な田舎だからか?

今「多言語してる」っていうことを他の人が知ってくれた場合

大概、「へ~」って無関心に終わったり、

「大丈夫なの?」って心配されたり。。。

密かに 変な人認定されたり。。。(*ノωノ)色々あります。

だから、

もし そんな素敵な世界になっていくなら大歓迎!

実現に向かって私たち最先端いってるじゃん!!!

おもしろい!って思いました。

***

できることにフォーカスする子育てから

できないことにフォーカスしてるといっても過言ではない「教育」

さらに言うと

「同じ」を求められる「教育現場」から

想像力や創造力を求められる「社会」・・・

子どもたちが混乱するのも無理はないのでは?と思います。

マニュアル人間を作ってしまいがちな場で育ったのに

マニュアル人間だな、、、もっと考えろって叱られる世の中(社会)。

根本的なところをどうにかってのは

日本のシステム上すごく時間がかかるから、

やっぱり親。

まずは 親が子どもにできることを するしかないのかな。。。

と、思ったのでした。

で、できることは何か。

やっぱりこれしかないと思います。

「環境」を整える。

全部 お膳立てするって意味の環境ではなく、

自由にうごけたり、頭打てたり、こけたりできる、

挑戦できる場所を用意するって意味です。

ちなみに、

学校をダメだといってるわけではありません。

私が教壇を去ってからもうずいぶん経つけど、

先生方が日々色々と頑張ってくれてるのは知っています。

現場の ものすごい努力は知っています。

そのうえで、

やっぱり身動きが取れずに もがいている先生方も知っています。

そんな中で

・・・今 私にできることを

我が子や 周りの子どもたちにできることを 

日々考えずにはいられないのです。

大したこと できてないけどね。

意識してるだけでも 

流されないだけでも 

違うかなとは思います。

何のために生きてるのか。

本末転倒にならないように

日々気を付けながら。。。

そんなことをぐだぐだと。。。思ってしまいました。

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