マレーシア生活開始~長男の生まれ育った環境と渡馬後1カ月で長男に現れた変化~

マレーシア生活

4才3カ月でマレーシアのペナン島へ引っ越した長男のその後ですが、たった1ヶ月で目に見えて変化していきました。

実は、長男を妊娠した時点で、その昔買った語学のテキストについていたCDを家でかけ始めていました。当時私が持っていたのはスペイン語と英語、そして中国語です。中国語は大学の時の講義で使っていた分です。

おなかの中の子が外の音を聞いているという話を前々から信じて疑っていなかったので、子どもの耳のため!と思ってCDをかけていました。

どういうことかというと、発音さえしっかり聞き取れれば、単語のLとRを書き間違えることなどないと考えていました。そう、、、学生の時の私はそういうスペルミスがすごく多くて苦労していたわけです。長文読解も分からない単語が気になって気になって全体を読めない。。。読み終わる頃にテスト時間終了。。。というタイプでした。

でも、世界に対する興味が激しく高かったので、わざわざ着物を着て出かけ、国外から来た人と話すチャンスを狙ってウロウロしていた。。。という怪しい経歴の持ち主です。( *´艸`)

そんな私の一番得意な言語は、ジェスチャー!

今思えば、人が好きで仕方なかったんだろうと思います。

話は戻りますが、産後数か月して多言語活動をしているHippoに出会いました。

ずっと書店で探し続けていた、同じ内容で違う言語のCD!

ここにはそれがありました。初めはなんの宗教団体かと思っていましたが、今ではどっぷり多言語の波に漂っている我が家です。

そしてHippoに入ったおかげでCDの言語数はどっと増え、いつか国外逃亡するぞと狙っていた私は、マレーシアに行く前から我が家を多言語が聞こえてくる環境にしていました。

前置きが長くなりましたが、

つまり行く前から、マレーシア語での自己紹介とかは当たり前のようにしていました。

でも、あくまでもその程度。CDも聞いてはいたけど、口からポンポン溢れ出るなんてことはありませんでした。

それが、マレーシアに引っ越してたった1カ月の生活で激変します。

長男が1人でおもちゃで遊んでいるときにも独り言で英語が出始めました。

日本にいた時も英語が独り言で出ていたことはありましたが、それは今から考えると単に文章や単語が英語なだけであって単発的に発せられていただけでした。つまり、覚えて使うのに似た感じといいますか。。。

それが英語の音の波の何を言っているか分からない中に、時々はっきりとした英語の文章、例えばI can help you.や I don’t know. や英単語が混ざっていきました。

それって大きな違いだなと今なら分かります。

文章を一つ一つ英語で言ってたのもすごいけど、

なんだかわからない・・・でも明らかに日本語の言葉の波、イントネーションではない。。。

英語と思われる波が口から溢れ出ている。それがいつかそのまま意味を持つんだろうと思いました。一秒たりとも見逃せない、そんな成長っぷりでした。

 同じく、マレー語もどんどん増えていきました。

ガードハウスにいる守衛さんや、バスの運転手、近所の工事現場のおじちゃんたちがマレー系の人で、長男がマレーシア語で自己紹介をしたり挨拶したりすると「パンダイパンダイ」と、手をたたいて喜んでくれました。

マレー系の人は老若男女問わず皆子供が大好きで、すごく優しかったです。

同じコンドミニアムに住んでいる人の中でもやっぱりマレー系の人が一番子供に対して優しかったように思います。よく一緒になって遊んでくれていました。

初対面ですごく仲良くなって、「うちの子にはもう小さいから」と腕につける浮き輪をくれた人もいました。よく考えたら、それもマレー語だったはずなんですが、確実にそう言っていた確信がある不思議。

何はともあれ、そういう環境にあれば必然的にマレー語も増えるということです。

プールに飛び込むたびにも「パンダイパンダイ!」と言われていました。

すると、何か上手にできたときは自分で拍手しながら「パンダイパンダイ!」といって自画自賛するようになりました。

子どもって本当に自然に言葉を見つけて使ってるなぁ~

続きます!

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