↑先日、Zoomで報告した件の原本について紹介させてもらいます。
そもそも この企画、
最近のファミリー活動のマレーシアブームにより浮上しました。
ムスリムの人たちにとっての安住の地が 日本にほとんどないことに関しては、
去年長男がまとめたことがある、ということで その報告をしました。
原本は、
去年2023年度 長男が小6の時の夏の図書館調べ学習コンクールの作品です。
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正直、
タイトルも調べていた内容も
けっこう面白かったんですが、
夏休みの間中一向に進めず!
最後数日でぱぱぱとまとめてしまって。。。
もっと早くからしてたら もっと面白くなっただろうに。。。
って 母的には思ってしまって。。。
しかも 大急ぎで仕上げたもので
字もとんでるし。。。😅
ということで、
市で奨励賞はいただきましたが
そのままここにUPすることもなく放置状態でした。
あえて言えば、
受験だったのもあって ばたばたしてるうちに学年が変わってしまいました🤣
ということで、
まずは目次から。
最初から字がとんでますが
目をつぶって読んでください😅
そうなんです。
長男は、なんだかんだで
出産には3度立ち会っていまして、
そこらへんにいるパパさんより経験豊富かもです🤣
「生」の現場を目の当たりにしてきた彼にとって、
曽祖母の死は 真逆の事態でした。
「死」に直接立ち会えたわけではないんですが、
最速で駆けつけた結果、
まだ温かく柔らかいままの曾祖母と対面しお別れすることができました。
その後
目まぐるしいほどのイベント続きで
見通しがもてない長男は
結構ストレスフルだったと思います。
「もう 亡くなってるのに まだ何するの?」
みたいなことを何度も言われたことを記憶しています。
確かに、
本人は死んでるのに
一体何のためよってなりますよね。。。
私的にはお葬式は
この世に残された人の為なんじゃないかと思います。
その人とお別れするための時間。
そもそも「死」とは。。。
それを言い出したとき、
正直「げ・・・(>_<;)」と思いました。
脳死とか すごくややこしいことに
突入するなぁと思ってしまったのです。
私自身 その問題に直面したことがないので
深く考えてきませんでした。
考えたことはあるけれど
なんとも言い難く。。。
だから、長男を どうフォローしたらいいのかなと
思ってしまったのでした。
「死」の定義なんて、
考えたことなかったのですが、
そこをはっきりさせるためには
「生きている」とうことの定義が必要・・・
養老先生のいうこと 何となくですがわかります。
常々
自分で考え決断して動ける状態でないなら
延命はしたくないなと思っています。
でも、
多分自分の子どもがそうなって目の前にいたりしたら
目を覚ます可能性が0でないなら
どうにか。。。って思うんだろうと思うのです。
もしくは、こんな姿みたくない。。。って思うのか?
いや。。。多分諦められないんじゃないかと思います。
そう。。。
何をもって「生きている」というのか。。。
本当に難しい話です。
先生の言うところとは
話が違っているかもしれませんが
過去に呼吸が止まった身としては、
色々思いながら考えながら生きてきた方かなとは思います。
いつのデータだったんだろう?
たぶん、そう古いものではないと思いますが。
男性は「自殺」が入るようです!
Σ(・ω・ノ)ノ!
女性は「アルツハイマー」が入るみたいですが😱
↑やっぱり出ましたね。
「臓器移植」。
この問題が浮上するまでは
「死」に対して3つの目安があったみたいですね。
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医学的な死
の後に
宗教的な死😯が書かれていて。。。
多分教科書とかでは 話にならない現状。。。
社会的な死
とかもあるような。。。
とか思いながら。。。
続きます!
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