先日のリアル準備会の後、
家に帰ってから
子どもたちは 色々な形で想いをアウトプットしました。
文字にした子、イラストにした子、家でお話した子。
形は様々ですが、
みんな上手にアウトプットしていました。
2人+二男の分だけ軽く 紹介したいと思います。
【小1男子】
小1なりに、すごく深く考えた時間だったんだろうなぁと思います。
宿題の日記というわけではなさそうなので、
感謝を文字に残してみたんだなぁと感心します。
詳しくは知りませんが、
もし親に書いてごらんと
背中を多少押されたのかもですが、
それでも、いやなら断れるだろうし、
イヤイヤなら、こんなにきれいな字で、
升目まで書いて書くことはないと思うのです。
だから、やっぱり彼の心の表れだなぁと思います。
【小1女子】
生命誌館に行った子や大人たちが
いのちの最初の頃や
脳が基本的には同じだという話を何度かしていたんですが、
そのことを聞いていたから このことばが出たのかな?と思ったり。。。
詳細は分かりませんが、
同じと思ってたのに、違う部分が見つかった。
確かに人間には 砂ずりはないです。
胃の一部のようですが。
それに、やはりちゃんと「いただきます」の真意について
しっかりと考えたんだなと
あの一文を見て思いました。
みんな、こんなに小さいのに、本当にしっかり考えているなぁと思います。
【小3二男】
二男も 5mm方眼のノートにびっちり4ページにわたり
書きました。
そこからわかったのは、
彼もかなりの覚悟で挑んだこと。
再度話を聞いてみると、
『だっこ はじめは怖かった。
でも、慣れたら、もっと抱っこしたくなった。
気絶させるときかわいそうだった。
血を見て怖かった。
いのちをおとすのは いやな気分?かわいそう?・・・
何ていったらいいか。。。
だけど、食べないと自分たちのいのちがおちるから
いのちをおとすのが大事と思った。
食べたらちょっと堅かったけど
美味しかった。』
と振り返ってくれました。
その瞬間はやっぱり しんどいシーンではあるのですが、
そうして いただいている 生かされている自分のいのちなんだということを
しっかり受け止め 考えた二男が はっきり見えました。
その話をする前に
『殺すって言いたくないねん。
何ていったらいいか。。。
いのち おとす?』
とかブツブツ 彼なりのことばを真剣に 探していました。
*****
感情はかなり 色々な局面で揺さぶられると思います。
多少の差はあれど みんな 揺れ動きながら
日々心の安定場所を探しているような感じかもしれません。
でも、
生きるということは
38億年のつながりの中で
生かされているということ。
これは 生きていく上で しっかりと考え続ける必要があるんだと思います。
忘れてしまってはいけないんだと思います。
いつも心の片隅でいいから 置いておく必要があるんじゃないかと思うのです。
中村先生は 本の中で こうおっしゃっていました。
『生と死のしくみをよく知って、
今を思い切り生きることが、
わたしたちの生き方なのです。』
『いのちという問題は、
だれかに答えを教えてもらうものではありません。
そもそも正解などないのです。
いのちについて、
わたしについて考えることが
生きるということだといってもよいでしょう。』
共感しかありません。