環境からは逃れられないのよ!

多言語
最近のファミリーの一コマ

かこちゃんの講演会がZoomでありました。

本人の許可いただきましたので、

「かこちゃん」と書かせていただきます。

かつて

我が家がいつもスピーカーをもって近所をうろうろしてるという話をしたとき

誰かに 「かこちゃんのお母さんみたいやなー」と言われたことがありました。

確かにスピーカーもって買い物に行くし

お散歩にも 3つも4つもスピーカーもってたりしますが、

それでも最近のスピーカーですから そんな大きくないです。

人に迷惑にならないくらいには 音量だって調節できます。

でも

今回講師をしてくれたかこちゃんのお母さんが

スピーカーをもって買い物に行っていたというのは

本当にすごいことだなと思います。

だって、

正確に何十年前かと言われればわかりませんが、

それなりに結構前で・・・

間違いなく 当時は本当に、、、そんな人なかなかいなかったんじゃないかなと。。。。

あり得ないかもと思います。( *´艸`)

よく聞けば

買い物袋に当時のでっかいプレイヤー?を入れて買い物に行っていたようで

買い物したら、その荷物を袋に入れられない。

だって機材が入ってるから!

みたいなことになってたみたいです。

(≧▽≦)

今よりよっぽど貫くものがないと

この活動に確信と楽しさを見つけてないと

できないだろうなと思います。

すごいなーって思います。

で、

今回この講演会が決まった時に

そんな風に振り回されて

巻き込まれて育った子はどう感じながら大きくなっていくのかと思って

それをかこちゃんにぶつけてみました。

かこちゃんは、

自分の体験をかなり面白く順序だてて話してくれていたんですが、

途中で

「英会話とかお教室からは逃げ出せるんです。

でも、育ってる環境からは逃れられませんから。」

と、にこやかにみんなを笑わせてくれました。

ほんとだよなー

って思いました。

私は巻き込んでる側だから、

いつも母親目線だから、

子ども目線とか、巻き込まれてる側で考えてなかったなーって

改めて思ったりしてました。

そして、私がこの環境を楽しむ限り我が子たちは逃れられないんだ!

ふふふふふ!やったーって思ってしまいました。( *´艸`)

そういえば、

先日お話させていただいた会で

自分も子どもの環境になってる

子どもたちも自分の環境になってるんだって気付いた話をしました。

それにつながってるー!!って思いました。

かこちゃんの話は

全てかこちゃん自身が体験で気づいた話なんですが

本当にHippoのど真ん中の話をしていて

聞いてて実感したのが

生活のすべての出来事を多言語の感覚で生きているということです。

こういう環境で育つと

こんな感覚が育つんだろうなと思いました。

きっとかこちゃんからすればなんの不思議もなく

自分が純粋にそう感じたんだと思います。

でも、

聞き手はまだまだこの環境で育ったという人は少な目。

今やっとここで育った子たちが親世代になってきたところですから。

だから、これから

こういう感覚を持った人が、親が、いっぱいになって、

そっちの方が普通になっていくんだろうなと思いました。

よく国際的な感覚を持って生きていこうというフレーズを耳にしますが、

それって多言語の中でこそ本当の国際的な感覚が培われるんじゃないかと思いました。

もう少し詳しく言うと

かこちゃんの話の中で

中国で電車に乗った時の話が出ましたが

人が電車を降りる前にどんどん乗ってきて人がごった返してすごいことになった

ような話がありました。

これ、日本人なら大抵の人は

まず降りる人がおりてから乗るべき。マナーが。。。

とか感じるんだろうと思います。

で、勝手にこの国はこうだから・・・

とかレッテルを貼っちゃう気がします。

でも、かこちゃんは

こんなに多くの人がいてたら、

降りるの待ってたら乗れずに扉しまって電車行っちゃうんだろうな・・・

だから、こういう風に自分から乗りにいかないと乗れないんだろうな

と感じたそうです。

電車に乗った時の話も色々あったんですが

一人ひとり出身の違う中国の人が

挨拶一つとっても、ぜんぜん音が違うんだそうです。

四声ってものの存在は何処??というようなことも口にされていたような・・・

あと、

全く何言ってるかわからない会話の中からでも

わかるところから全体を想像して何を言っているか把握したという話がありました。

そういうのも全部、

多言語してるから自然とできるんだろうと思います。

私はそういう環境では育っていなかったので、

部分が気になって

わかるところにしがみついて。。。

だから、

高校の時、英文の長文読解が苦手でした。

「分からないところは とばして わかるところだけ ひろって全体から中身をつかみなさい」

って先生は言っていたけれど、

そんなの頭で分かっているからと言って できるものでもないのです。

他にも

中国でパンを買おうとしたときに

名前も見かけも違うパンが何種類かあって

味を知るためにみんなでシェアしあおうねと言って

何種類かのパンを買ったそうです。

でも、食べてみたら、全部同じ味!

間違いなく

「詐欺だ!騙されたー!ありえない!」

と感じるんだろうと思います。

でも、その時に

日本ではこういう場合はパン自体が違う味になりうるんだろうけど

この国ではこうで。。。

って普通に感じられたようなんです。

それどころか、

見かけも名前も違うパンを相手に

「多言語」を感じたそうなんです。

おもしろい!そうくるか!と思いました。

~語~語~語という表面上違うものだけど

中身は同じ味!

「人間のことば!」

すごくすとんと来ました!

仮に

言語に興味がなくても

こういう感覚が持てるのは 生きていくうえでかなり有効な気がします。

いちいちイライラしなくなるだろうし

いろいろな角度から物事を見られるようになるんだろうなと。

まーそれも全て

多言語してるからこそ

多言語の環境に身を置いているからこそ

そういう感覚が身につくんだと思いますが。

(≧▽≦)

やっぱり「多言語」の環境で子育てするのって絶対にいい!!

これからの世の中を生き抜くのに 真に大切な感覚が育つなと思いました。

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