この活動をつくったさかっちゃん、こと、榊原さんの
お話されているDVDを見る機会がありました!
韓国にも この活動を!ということで
約30年前に行われた講演会です。
さかっちゃんが語った中で私がこころに残ったものを
いくつかご紹介します!
*いつものことですが『 』の中は、
さかっちゃんのことばです。
【人間の定義】
『集団でことばを交わしている生き物を見たら、
人間がいたって思うんじゃないですかね。。。
そうすると、
人間の定義は、ことばを話す存在。
そのことばとは何かということを見つけることが、
人間とは何かということを見つけることになるのかな
もし、人間がことばなしで生きていける生物だったら、
多分ことばを発明しなかったと思いますよ。
人間だけが、ことばでお互いの網の目を作りながら
それにぶら下がってしか生きていけなかったから、
ことばを作り出したと思うんですよ。
人間はことばでもって
みんな繋がり合って、ようやく生きていけるのかな。』
人間の定義かぁ~って思って、
そんなこと考えたことあったかなぁ
大学の時に少ししたような気もするけど、
ここまで考えてなかったと思うのです。
「人間=ことば」
人間は「言語的存在」ではなくて
「言語存在」って言い切ってるとこが
改めて、
人間とことばが切っても切り離せない状態なんだなって思います。
この場合の ことばって
多分「表現する」って意味でとらえていいと思ってるんです。
声が出ないとか、
そういう病気とか障がいとかそういうの関係なくだと思ってます。
***
【ことばというものがどうやってできていくのか】
『文字を媒体とする自然習得は一つもない』
確かに!って思いました。
そして、
赤ちゃんの話になりました。
『初めは頼りない声なんだけど、
だんだんしっかりと訴えれるような泣き声にかわり、
まだことばとは言えないけれども、
いろんなことを真似しながら話し始め、
それから一般的にことばができるというところにいくのかな。』
といった後で、
『ぼくたちは「ことばがある」と思っているんですね。
でも、ことばというのはだんだん見つけてできるようになるんですよ。
だんだん見つけていくのがことばなんですよ。』
ちょっとドキッとしました。
だんだん見つけていくものってのは 感覚としてあるんだけど、
確かに、、、ことばが「ある」ものって思ってるかも。。。
ちょっとしたことばの違いかもだけど、
これって実はすごく大きく違う気がしました。
改めてことばにされて気付くことって多いけど、
これもそうだなって思いました。
そして、
『僕は赤ちゃんの声を聴きながら、
ひょっとすると、
人間っていうのは一人の中で人類の全ての体験を生きてるのかなっていう風に思って』
↑これに似たことは小学生の時に 思っていました。
人類のというか、
生き物の歴史を全て生きてると思ってました。
おなかの中のたった10ヵ月の成長が
魚類、爬虫類・・・みたいに進化していく様を見てるみたいで。。。
それが、
ことばを見つけていく過程を見て
人類の全ての体験を生きてるって。。。
そう感じ、それをことばにしてるさかっちゃんに感激してました。
***
そして、
人類が、分かれて住み始め
それが〇〇語、〇〇語となって。。。
という話の後に、
『このどれもが人間が無意識に作り出したことばです。
外から見ると、全部違う。
でも、同じ筋道でできてる。
ことばは同じなんです。
全部人間のことばなんですよ。
同じなんです。原理は!
同じ人間なんですよ。みんな。
要するに、
自然にことばができるということの、
その自然の、とは何かということを考えること、
これが科学。』
『同じ人間』っていう感覚。。。
先日の中村桂子先生の講座で
「生命誌」の感覚は人類みんなが持つべきだなって
じわぁって思ったんですが、
これも同じだなって。
同じ人間なんだって思えてたら、
こんなにいがみあわないとおもうんだけどなぁ。。。
***
【同時通訳??】
あと 今回の講演会、
一見 同時通訳がついてる感じで進んでいたんですが、
翻訳/通訳じゃないなぁ~って思いました。
さかっちゃんも 韓国語出てたし、
韓国語話してくれてた人は 日本語出てたし、
なんか、やっぱり二人ともみんなに伝えようっていう
その思いがことばに出てるだけなんだなぁって思いました。
ちょっとことばにならないから
伝わってないかもですが、
とにかく
全体でなんか伝わってきたなぁって思いました!
***
同じようなことを、
このDVDを見る会に参加していた別の人もシェアしていました。
『シェアの時に、韓国翻訳verじゃない!って言っていて。
私も今まで韓国語の翻訳verって思ってた…。
さかっちゃんも、韓国の方も、
同じ気持ちで伝えたい事がある!
これは、ただの翻訳verじゃないって最後に言ってくれた時に…
「ぽわっ」としたものが流れた。
次にこの動画に会えた時、私はどう感じるんだろう😊😊
どう感じれる私になっていられるか楽しみだな!』
だそうです✨
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あと、最後に
【~かな?って話し方】
さかちゃんのことばの全てに
「~かな?」って入ってるんです。
「こうかな?」
「こういうことかな?」
っていう話し方なんです。
自然を見つめながら
ひたすらに ただただ感じ、
なんでだろうって考え続けてる姿がそうさせてるんだろうと思うし、
根幹に、
「みんなで」っていう意識があるんだろうなって思いました。
この投げかけがあって初めてみんな考えると思うんです。
だから、
みんなに考えてほしくて、
一緒に考えたくて、
それが そういうことばとして表れてるんだろうなって思いました。
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やっぱり人間、考え続けないと!
って思いました。
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追記
そういえばもう一つありました!
【母語について】
さかっちゃんの話の中で
『自然にはなせるようになったことばは母語』ということばがあって、
なぜかひどくホッとしました🤣
実は、以前 講演会で私が話したとき、
「母語をふやしているんです」
ということばに
「目から鱗でした!
日本人の母語は日本語っていう感覚でした!」
と言われて
え?この感覚は間違ってんのかな?
って微妙に気になっていたのです。
定義的には知りませんが、
寝言や
日常生活のとっさの場面で
英語や中国語などなど
飛び出している今の状況を見て、
母語じゃないというほうがおかしく感じています。





