ある日、一枚の手記が届きました。
多分、手記の後半のネタ、
水玉の靴下の話があったから前半のことばが出てきたんじゃないかなと思いますが、
送られてきた順番のままの文章で紹介します。

話の中身は、
一見、子どもの思考回路的なんだけど、
やっぱり大人な感じも否めない…部分もあるかなと。
でも、こんな風に考えること自体が
すごく大切なんだろうなって思いました。
自分の日常の中の「普通」とか「当たり前」が
実は相手にとって そうではない・・・
それが自分の側にあるか ないか
それって、すごく大きなことのように思います。
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その続きの話はこちら。


お米の模様の靴下
そう言える感覚が素敵で、
そのまま大人になってほしいなってのは
こっちの勝手な欲なんだろうなぁ~
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それにしても、
お米に見えるっての、
日常が出るなぁって思いました。
茶色じゃなかったら、
また違ったんだろうか?
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その辺は分からないけれど、
最後の小3息子くんの話は まさにそうだと思います。
いつ頃から
自分は「知ってる」って思ってしまうんだろう。。。
大して知らないのに。
「知らんかった!」って言うってことは、
自分は「知ってる」側にいるって思ってるってことか。。。
確かに!🤣
ソクラテスの「無知の知」を久々に思い出しました🤣

