最近 この数年の自分の変化をことばにするようになって
色々なことに気付くんですが、
その中で、地味に気になってきたことがあります。
***
常々、我が子には社会に出る前に「My取扱説明書」が書けるようになってほしいと思っています。
自分のことって一番わからないから
社会に出る時、自分の取説を人に説明出来たら、
得手不得手を 自分の凸凹具合を
見えないけど苦手な部分を
周りのみんなに補ってもらいながら
円滑に生活できると思っているからです。
完璧な人間なんていないから、
それができることで みんなと共により生きやすくなればと思っています。
***
その分かりにくいはずの「自分」というものが
前より見えてる気がするんです。
変化に気付けるってそういうことだなって思うんです。
つまり、
ヒッポ入ってMy取扱説明書もすんなり書けるようになった気がする。
自分の変化に気づくと共に、自分がわかるようになってきてると思うわけです。
***
↑そんな話をしたら、
↓こんな話が あるメンバーさんから返ってきました。
『My取扱説明書! 振り返ると、ヒッポ入会当初、フェロウにね、短いスパンで「(マテリアルを聞いて)どう感じた?どう変化してきた?」って何度も聞かれてね、以後、自分は今、どう感じてるんだろう?って考える癖がついた気がするよ。後になって、「自然科学者になる」ってこんな感じなのかな〜って思うようになったよ。』
と言われました。
そういえば、Hippoではよく「自然科学者」ということばを聞きます。
私は史学科に所属しながら文化人類学が大好きで、
分野がなんでこんなにきっちり別れなきゃいけないんだと思っていた口だから、
こまごまと「名前」が決まって分かれているのがあまり好きではなかったんですが、
だからこそ、「自然科学者」って言葉をHippoで聞いたときから
「自然科学者って何よ!」って思ってました。
名前に囚われるのが嫌いだったから、
そこを突き詰めて考えたことがなかったんです。
「当たり前の中に 法則(性)をみつけること」
って誰かに聞いたような。。。
改めて検索してみると
『自然現象を観測し、研究する学問を 自然科学 という』
ということばが出てきました。
つまり、当たり前を当たり前と思わないで
「なんで」とか「どうして」とか考えることで
あってるんだろうと思います。
そこで、改めて
「Hippo・自然科学」って検索してみました。
そしたら、
ヒッポファミリークラブの「理念」が出てきて・・・
ちょっとびっくり。。。
そりゃ、「理念」くらいあるとは思うけど、
10年以上も所属してて
読んだことが なかったことに
気にしたことが なかったことに
びっくりしたんです。
***
ちなみに、その「理念」とは、、、
ちょっと紹介させていただくと↓こんな感じです。
「ことばと人間」を研究テーマに、多言語の自然習得及び多国間交流の実践を通して、
言語との科学的探求を進め、国際間の理解と人類の共生に寄与します。
です。
「ことばと人間の探求」
『科学は人間によってつくられるものであります。これはもともと自明のことですが、簡単に忘れられてしまわれがちです。このことをもう一度思いかえすならば、しばしば嘆かれるような人文科学―芸術と、技術―自然科学という二つの文化の間にある断絶を少なくすることに役立つのではないでしょうか。』 (『部分と全体』 W. ハイゼンベルグ著より)
『これからの地球はどんどん狭くなってゆくだろう。こどもたちが、その世界で伸び伸びと生きてゆける柔軟な感性をもった人間に育って欲しい。わたし自身、当り前の親としてそんな願いを持った、それが出発である。そのためには、ことばというものが何よりも大切なような気がしたのである。』(『ことばを歌え!こどもたち』 榊原陽著より)
私たちが、ことばの教育というものを考える時、前提として不可欠の問題があります。それは「人間にとってことばとは何か」という命題です。ヒッポは、言語教育活動の出発点にその命題を真正面にすえ、根源的に問いを発することから活動が始まりました。
それは多言語(多様性)に開かれた世界で、ことば(多言語)の自然習得を自ら体験するとともに、その体験を通して交流しあい、普遍性をみつけるという「ことばと人間」についての実践的な活動のスタートでもありました。その実践的な活動を通して「人間のことば」に対する「理解や考え方」「言語観」が劇的に変化してきました。そしてその結果、どのことばを話すどの国の人に対しても心が開かれてゆくという感性が皆の中に育まれてきました。
私たちは、この活動の持つ「人間とことばへの分けへだてのない体験」を通して、それぞれのメンバーの自発性と自己発見の力、ことばに対するういういしい感性や、仲間たちとそれを分かち合う嬉しさなどが、多言語の習得のみにとどまらず、すべての分野へ向かう姿勢となり、しなやかな人間形成への基盤になっていくことを目指したいと思います。そしてそのことば(多言語)が生き生きと働く場(環境)は在るものでなく、「その場に参加する人たち」「大きな家族のようなヒッポメンバーたち」によって、共に創られるものであり、その場でことば(多言語)を共有し、一緒に楽しみ、歌い見つけ創りだす、その生き生きとした場こそ「ことばと人間がしなやかに育つ環境」だと思います。
今後も、一般財団法人 言語交流研究所は、さまざまな実践活動を通して見えてきた成果の蓄積を、各界の専門家や研究・教育機関との協同活動・作業を通して世界に発信し、ことばや人種、国境、学問分野のあらゆる境を超えて「ことばと人間」の本質とは何かということを不断に問いながら、世界の人たちと交流をし、生き生きとした「ことばと人間の育つ環境」、「豊かな言語場」を一歩一歩、創り、広げていきたいと思います。
*言語交流研究所 ヒッポファミリークラブのHPより*
***
とありました。
きっと、始まった40年も前の時点でこのことに気付いてたんだと思うのですが、
本当に、今読んでもすごくストンと来ます。
共感と納得しかない。
「ことぼく」という もとは本の中身を一部音源にしているものを聞いていてもそうなんですが、
自分が最近気付いたことが全部全部ぜーんぶ
音源から聞こえてくるし、
榊原さんの書いた本に書いてあるし・・・
もう何年も前から「同じ」を発見しながら
同じことに共感したり感激したりしながら
活動してるんだなって気付かされます。
個人的に 今 一番 気に入ってるのは
この部分!
『ことば(多言語)が生き生きと働く場(環境)は在るものでなく、「その場に参加する人たち」「大きな家族のようなヒッポメンバーたち」によって、共に創られるものであり、その場でことば(多言語)を共有し、一緒に楽しみ、歌い見つけ創りだす、その生き生きとした場こそ「ことばと人間がしなやかに育つ環境」だと思います。』
そうなんです。
時々「多言語の習得方法いいですね~自然ですね~家で実践します!」っていう人います。
まぁ、多分無理です!
40年以上かけて作り上げたこの「場」が「人」がいかに大事か。。。
同じようなものを作ることはできると思いますが、
かけてきた 積み上げてきた 時が違います。
一朝一夕にはいかないでしょう。
そんな簡単なら、誰か他の人がもっとしてると思います。
そして、
最後に書いてあることば
『あらゆる境を超えて「ことばと人間」の本質とは何かということを不断に問いながら、世界の人たちと交流をし、生き生きとした「ことばと人間の育つ環境」、「豊かな言語場」を一歩一歩、創り、広げていきたいと思います。』
ものすごく大切なことを 地道に コツコツとし続けているんだなとおもいます。
今更ですが、出会えてよかった。
本当に。