

毎年、10月はHippoの原点を振り返る時期で、
創始者である さかっちゃん(榊原陽)が話してるDVDをみたりします。
今年もその時期がやってきました。
数年前初めてこの動画を見たとき、
あまりの聞こえにくさに驚いたんですが、
年々聞こえるようになってきて、
去年なんて、めっちゃ聞こえすぎて
丸で目の前で話してくれてる感覚になって
動画の画面相手に相槌打ってる自分がいたくらいでした。

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今年はどうかと言いますと、
また一つぐっと変化していて、
さかっちゃんのことばが全部わかるんです。
全部わかるっておこがましいけど。。。
確かに、いわゆる超難しいDVDはまだ見れてないのもあるので
全部というのはおかしいけれど、
でも、本当に見るもの聞くもの全部に対して
同時に自分の頭の中で自分の体験が重なって
せわしない感じなんです。
つまり、
さかっちゃんのことばを聞きながら
自分の中にある同じ体験が脳の中で流れる
そんな感じです!!
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どうして ここまで去年と違うのかなぁって思ったときに、
やはり
去年までとは
「ことば」にしてる量が
圧倒的に違うからだろう
という結論に至りました。
発信している量が圧倒的に多くなったことで
自分の中で咀嚼してる?昇華してる?部分が増えて
更に体験が重なり掘り起こされ。。。
そんな気がしました。
だから、
やはりOUTPUTは大事で、
これをしてないと、
せっかくの体験も重ならないんだろうなと思いました。
だからこそ
さかっちゃんのことばも 身に沁み込んでいくんだろうなって思うのでした。
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同じように
この時期をとても楽しく過ごしている仲間から
面白いコメントが来たのでシェアします!
『大分講演会のシェア会参加したんだけど
主催者から感想送って〜ってリクエストきたから長々書いて送ったの。
つらつら書いた最後に↓コレを書いたのね。
「〇〇の話から。
小さい子が話してることが親にはわかるけど
他人にはわからないってよくあること。
そう言うものだとしか思ってなかったけど、
さかっちゃんがその理由を言葉にしてくれてすごく腑に落ちた。
赤ちゃんはお母さんの音から大まかな波を掴み、
お母さんは赤ちゃんの大まかな波から細かい意味を掴む。
言われてみればそうなんだろうけど、
当たり前すぎて考えることしなかったな…
当たり前のことに目を向けて…
ここをさかっちゃんはしてるって改めて感じた次第です。」
送ってしばらくして、
ふっと思ったことがあったのでまた送りつけたのが↓コレ
「最後に書いた〇〇ちゃんのところ、
その時は何でそこが「あっ!」て感じたのか
わからなくて言葉にできなかったんだけど…
こうして改めて感想を求められて文字にしてたら、
最後の当たり前のことに目を向けて…
ここをさかっちゃんはしてるって改めて感じた!
って言葉(文字)になったわ!
Grazie!」
何に対して「あっ!」て思ったからわからなくても、
そう思った事に対して、やっぱりアンテナ📡が立つんだよな〜
そして、アンテナ📡にことばが引っかかる!』
だそうです。
当たり前のことに目を向けるって
簡単なようで難しいというか
当たり前すぎて気づけないというか。。。
その辺はすごくわかります。
でもそれも意識の問題なだけだなと今では思います。
返事には、
『そうなんよね。
だから、絶対発するのが大事なんやと思う。
体験はアウトプットしないと
その意義も意味も半減以下になるんだと思う。。。
そして、
改めて現象を伝えるだけじゃない部分が
いかに大事なんかって思うよね。
そこをしてる。ほんまに、そこだよなぁ。
そこを、ことばにするかしないかが、
雲泥の差だと思う。』
って書きました。
そしたら、
『1回目の感想書いた時は、
「言葉が一人歩きしてる」状態だったのかも』
って言われたので、
『そういうときあるよね。
でも、独り歩きだとしても、
なんか発しただけいいと思う。
独り歩きしないよりは。🤣
独り歩きでもしてたら、
自分に返ってくるときもあるし、
誰かが回収してくれるときもあるやん?🤣』
自分で書いてても笑えるけど、
本当に、どんな些細なことでも
0よりは発するほうがいいなって思います。
0はやっぱりかけても0だしなーって思います。
何かしら
投げたら
誰かはきっと反応してくれるし、
反応として返ってこなくても
誰かには響いてるかもだし。。。
そういう響き合いが大事だなって思ってます。
それが例え「わからーん」って叫びだったとしてもです!
それで共感して何かが動くこともあると思うし。
とにかく
OUTPUTの重要性を痛感してる最近です!

↑去年も書いてるけど🤣
ってか、いつも書いてると思いますが🤣

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