「教育の明日を考える」意見交換会@文科省のシェア+長男の「多言語の重要性」スピーチfor中学3年生

ヒッポファミリークラブは

全国に活動拠点があり、

活動してる皆も0才~シニアの方々まで本当に多様です。

つまり、「多業種」でもあるわけです。

社会のあらゆる場所で活躍してる方々いてまして、

情報も飛び交います。

その中で、先日

『Mからのシェアです。
ヒッポの活動の先にあるものと繋がるものがあるなあと思いました!』

というものが流れてきまして、

文部科学省の担当課長からのヒアリング事項でした。

会自体は、

衆議院第二議員会館で開催された

「教育の明日を考える」意見交換会。

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シェア内容はこちら↓

『今、10年に一度の道徳教育改革中だそうです!
読み物の登場人物の心情を理解すると言う型にはまった内容で、指導方法にばらつきのあった今までの道徳教育にメスを入れています。

●目指しているのは、

・「答えが一つではない課題に、子どもたちが道徳的に向き合い、考え、議論する」教育。
⇒正に!「知性」の部分です‼️
「正解を教えてもらう」から
「自分はどう考えるのか」への転換。

●さらに、AI時代についてのお話もありました。

「道徳の価値項目=AIに代替できない、人間ならではのもの

AIが猛烈な勢いで進化しているからこそ、知っていることの中からの正解ではなく、
・何を大切にするのか
・どう判断するのか
・他者とどう関わるのか
・自分はどう生きるのか

こうした問いが見直されています。

教育が大きな転換点を迎えていることを感じました。

●文科省が繰り返し使っていた言葉

「学びを自分事にする
・知ることと、自分で行動することは違う。
・頭で理解することと、実際に行動することは違う

「何を教えるか」から「その人の中で何が起きるか」へ。

時代がそこへ向かい始めていることを、とても心強く感じました。』

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このシェアの文を読んで、

まず思ったことは

全部、毎日、このブログに書いてることばばかりだなと。。。

何の新しさもない。

つまり、

私たち、それ普段からやってるぞ!

って思いました。

正解も答えも何も分からない状態の中で

こころ豊かに今を生きてる。

それが日常。

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上から順に。。。

「自分はどう考えるのか」への転換。

これは、「自分」がないと かなりきびしいかなと思います。

特に、正解を教えてもらってきた世代が親であり先生である中、

そして、今、何でも検索でさくっと答えを聞ける状況下で、

これができるようになるのは至難の業ではないでしょうか。

では、どうするか?

まずは「自分」というものを見つける必要があるように思います。

それもまだ出来上がってすらない「自分」で

今からどんどん変わっていく「自分」を見つめる感じ。

そこがないのに、

どう考えるかって本当に難しいなと思います。

そもそも「自分」ってどうやってできてきたんだろうってところです。

***

書きながら、

ふと思ったのが

さっき目の前で起こった出来事。

実は先ほど緊急企画で長男がZoomをひらきました。

中身は

英語の論理表現の授業で

「英語を学習する重要性について」の単元の後に、

長男の視点で語ってほしいと頼まれた件で、

スピーチ内容を考えたくて開いたんです。

45分の授業の中で自由に語っていいようで、

しかも、どうやら

英語に縛られているわけではないようなのです。

リクエストをくれた先生は

私が高校の時の英語の先生で

長男が入学して以来ずっとHippoのチラシのことでご協力いただいていました。

つまり、

我が家がHippoの活動をしてることを知った上で

多言語を習得する重要性について語ってくれてもOKというスタンスなんだそうです。

そのZoomでの話は

また後程まとめるとして、

この時何が起きたかというと、

最終的に

長男の生い立ちの掘り返しにもなったし、

長男自身がどんなふうに生きてきたかを掘り起こすことにもなりました。

長男にとって多言語の環境抜きでは語れない今。

そんな話を皆の質問から掘り起こしつつ語っていました。

それを受け、

本人も音声でお礼を言った後、

私も協力してくれた人たちがいるLINEグループにお礼を書いてたんですが、

書きながら出たことばがこちら。

『~略~
そんなわけで、引き出し会みたいなことしました。
ご協力ありがとうございました。
一晩寝かせて、明日もう一度、ことばにするとのこと。
今日は40分Zoomのつもりが、
切れた直後に「もっかいしたい!」って叫ばれて、
急きょ2コマ!
でも、本当にすごくいい時間でした。
みんな、ここのメンバーは見守りながらことばをかけてくれてるのもわかって、とても素敵でした!
14才という年齢で、
自分をこんなにも掘り下げるチャンスをくれた英語の先生(私の高校の時の英語の先生)にも感謝だし、
引き出すのに協力してくれた皆にも感謝です。
そして、それは、今日だけでなくて、
今までここまで育ててくれた関わってくれたみんなのことばが
今の長男をつくってるなーって改めて感激でした。』

そうなんです。

今の長男を形作ってるのって

今まで関わってくれた人たちがかけてくれたことばであり時間なんだなと、、、

なんかじわっと そう感じたんです。

そして、改めて

「人間は言語存在である」

ということばが脳内を巡りました。

決して

ことばは道具ではない。

ことばが、言語が、道具であるなら、

人間が道具になってしまう。

道具をいくら集めても「自分」にはならないと思うのです。

あ~「ことば」って「人間」そのものなんだなと

あらためて感じた時間でした。

***

そういう意味では、

「自分」がつくられながら

「自分がどう考えるのか」

ってのをして生きていく感じなんだろうなとも思ったりしました。

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そして、

⭐「学びを自分事にする

これは、いつも言ってます。

毎日くらいここで書いてます🤣

何事も、自分ごとでないと

意味がないと思います。

自分ごとになって初めて見えるものもあるし、

自分ごとになって初めて身になると考えます。

先ず隗より始めよ②~手記後半「自分ごと」がKey
続きです!いつもホームステイ受け入れてくれる家庭には感謝しかないんだけど、さらに、そこで見えたことをこうして報告してくれることがどれほど有難いか!って思います。子どもたちが混ざり共鳴することで起こる現象ってその場でしか見れないし、母がいると…

***

そして、

・何を大切にするのか
・どう判断するのか
・他者とどう関わるのか
・自分はどう生きるのか

この環境にいると、

日々それです。

社会の縮図の中で濃く生きてるだけなので、

日々それに向き合って生きています。

その中でも、

『「何を教えるか」から「その人の中で何が起きるか」へ。』

ですが、

私たち、

人間の内側を常に問うてます。

内側から見て、

内側をことばにする。

そして、

その人の中で何が起きるか。。。

相手の立場に立てないと

コミュニケーションは成立しません。

「自分」でいっぱいになると

相手に想いは通じません。

そこに「リスペクト」がないから。

相手に何が起きても見えないし、

何が自分の中で起きてるかも気づけないと思います。

「自分」は大事だけど

「我」が強い、わがままなのは違うなと

その辺の感覚も

やはりたくさんの人に出会いながら

経験を積むことで

習得していくんだろうなと。

***

長男は、例の会で

そういうことも「多言語」なのか。

というようなことばを発していました。

「多言語」深いです。

「多」っていっぱいあるってことだから、

重なりがたくさんで

細かくなればなるほど、

遠目に見たら、

「全て」にも見えるだろうし

「ひとつ」にも見えるなと

ふと思った夜でした。

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で、これを

現場で如何にリアルに子どもたちに実践できるか。

理想はいくらでも語れます。

これを実践するのに

学校だけではできません。

一人一人が

意識をもって生きないと、

この理想はただの文字になり下がるな、と。

もう、

子ども大きなったしとか

子どもいてないしとか

そういうわけではないのです。

みんながみんなの環境というのは

何もHippoだけの話ではないのです。

生きている以上そうなのです。

ヒッポって「誰かが作ってくれた環境に参加するもの」ではなくて、自分自身もその環境の一部なんだ~シェアTimeの感想より
Hippoは塾じゃない。習い事じゃない。つまり・・・そこに気付いたママの話。

つまり、

今一度

本当の意味で

ひとりひとりが

自分の生き方を見つめ

何のために生きてるのかを

しっかり考える必要があるなと思いました。

コメント

  1. peco より:

    自分で考えるとか、自分事とか、ヒッポの中では良く聞くことばですね
    不登校は、まさに、自分で考える、自分事で、今、良しとされている文化を離れることで、自分を確立することに近づいたなと思いました

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