先日出会った方が「音」がしんどい話をしてくれて↓

それを書いたら、すごい反響があって、↓

その中の一人が 更に思うことが!!
ってコメントが来たのでシェアします。
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『Haruさっそくブログで取り上げてくれてありがとう〜!!
ちょっとまだ話足りないから補足させてー。
LiD/APDの説明のワード、
『音 ✕ 脳 ✕ ことば』
なんだかこのワード、
とってもヒッポっぽいと思わない?
ヒッポの言語を習得する過程のヒントになりそう!って思った。
ヒッポに入ったばかりで音源を聞き流し始めたばかりの時は、
日本語が良く聞こえる
→耳につく単語がよく聞こえるようになる(繰り返し)
→聞こえる言葉が増えていく。
これって、
初めはただの『音』だったのが、
脳が『ことば』と認識したからだと思うの。
音が言葉へと変わっていく。
雑音と捉えるか
言葉と捉えるか、
脳が判断してる。
それに、
LiDは聞き取れない、
聞き間違いも多いから、
聞き取れない所は当たりをつけて会話してるんだけど、
微妙に違ってて話が噛み合わないことも多々。
こんなところも、
交流へ行った人の報告で聞いたことある話に似てる。
言葉がきちんと伝わってなくても、
ジェスチャーや表情を通して一緒に楽しむことは出来る。
そして、ヒッポは受け入れてくれる人がいっぱいいる。
ファミリーでメタ活(ことばを真似してうたう)して、
さぁ、何か聞けた?って振られるとちょっと困るけど、
みんなと一緒にいるのは楽しいし、
Zoomのワイワイも聞き取れなかったらと思うと不安になってしまって苦手だけど、
色んな人の話を聞くのは面白い。
自分の出来る範囲で、
自分のペースで楽しめるのが
ヒッポのいいところだと思う。』
そう。
本当にそう思います。
人間を
生きてること全てを
ここでしてて
単に
そういう見方でもって
そういうこころもちでもって
生きてるってことを
ことばにしてるだけ。
多分、
他のいろんな活動と
そういう部分が違うだけ。
だから、
どんな人でも響くんだろうと思います。
それだけ
なんだけど、
それが人間の根幹な気がします。
「ことば」にするって
そういうことかなと。
**
体験は他のどんなところでもできます。
でも、
それをここで
こうして日々シェアすることで
ことばにすることで体験になって、
それが全ていい循環で巡っていく。
この場は、
そういうところなんだと思います。
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一連のみんなの声を読んでくださった
別の方が
また素敵なコメントをくださったので
シェアします。
『私もヒッポ前は無音派だった〜。
一人暮らしの頃はテレビも無かったし。
物を覚えるのは耳で何度か聞くと覚えてたから、
専門学校の頃は難しい科目はYouTubeを繰り返しBGMのように流して覚えてた。
でも視覚から入る記憶もある方で、
一度通った道やら人の顔は覚えるの得意。
まあだから何?なんだけど、
スピーカーはみんな聴こうとしてるんだろうなあ、、が感想。
赤ちゃんは聞こうと思ってなくても《聞こえてくる》だから
やっぱりスピーカーたくさん流すのって赤ちゃんの状態に近い気がする。
まあ、静かな家で静かに育ってきて静かに生活してたら静かが好きかもだけど、
《聞こうとする、しない》に関わらず《聞こえてくる》があかちゃんかなあと。』
うん。
それが自然なんだと思います。
聞こえてくる。
これをつくりあげるというか
環境を整えるというか。。。
一見「不自然」だけど
これを「自然」にしてしまったらOKだなって🤣
***
とにかく思うのは、
この聞こえてくる「音」を
「ことば」にすること。
そして、
「ことば」は
人と人の間で生まれ育つものだから
このHippoのファミリーという多言語の「場」で
受け取りあって「ことば」にしていく
それをもっと積極的にしていこうと思いました。
受け取り合ってるうちに
「ことば」になっていくし!
そう、
とにかく
もっとことばにしていこう!
赤ちゃんたちをみていて思うのは
アウトプットの量が尋常じゃない!
この部分もしっかり真似していきたいと思います。


コメント
メタ活=ことば
メタ活出来るけど、これを話せてる、で良いんだっけ?
人に会ったら何とかなるけど、これを話せてる、と世間の人に言っていいんだっけ?
と、10年以上モヤモヤしてたんだけど、
上の娘がアメリカYLから帰国した時に、私が英語のメタ活をしてたら、側に来て、驚いた感じで、「意味わかってるの?」と聞いてきた。私が「全然」と胸を張って?答えたら、更に驚いた様子。こんなにペラペラと英語で話してるのに、本人は胸を張って、何を言ってるかは、わからない、と言う。????となったんだね。
そして、その感じを掴みたくて、翌年春、自分もマレーシア交流にGFとして参加してみたら、本当に大体からマレー語が理解出来て、最後は、わからないマレー語が浮かび上がるようにわかって、そこを質問したら解決!となり、ここがわからない、って所がわかるようになったら、怖いものなしだなぁ、と思って帰国。
そして、ファミリーで、マレー語のコンバインを歌うメンバーを見て、私も娘と同じ質問を、、「意味、わかってるの?」とw。
帰国したてで、マレー語にまみれてる私には、そのメンバーの歌うが、=話してる、と思えた。こんなに流暢に話してる(ように感じられる)のに、本人は何を言っているかわからない、と言う。
歌う=話す、になるのは、相手、受け手、の存在が大きいのかも、と思った瞬間だった。
メタ活が、ただ真似してるだけで、自分のことばじゃない、と思うか、自分のことばになるか、は、受け手の存在が大きいんだなぁ、と思う。
赤ちゃんの発してる音を、お母さんは、ことば(何かを伝えている)と捉える。だから、ことばが育つんだろうなぁ。
同じ音源を流して(聞いて)、ファミリーでその音を出し合う!受け止め合う。それが、話す、って事だなぁ。
わかります!
メタカツについては、ずっと書いてきてるけど、本当に、ことばだなって。
これが話すに直結してる。
もうそのモノっていっていいとは思うけど、それはその場とか相手次第というか、でも、まさにそこにある感じ。とは思います。だから、メタカツは人と一緒に、目を見て語るようにしないと、なんか虚しくなるんだろうなって思います。
https://haruchannnel.com/?p=14857
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